『炎精の蝶』の異称をもつ最高位の魔法使い、キリィ・ラティエス・ヴァンデイン。
 その名の一部と魔力を持ち、ザイード・アルノーの思いと魔法の記憶から、魔剣ラティエスは生まれた。
 どれだけの犠牲を出し、苦痛を強いろうとも。
 どこまでも冷たい闇のなかを堕ちつづけ、悪魔と成り果てようとも。
 ほしいものは、愛しい者に与えられる死、ただひとつ。
 最期の望みは、そのひとが決して手に入らないとわかっているからこその、せめてものわがまま。
 輝く光の刃はザイードを貫き、渇いた白い壁を砕き、空を包む黒い雲を突き破って、はるか上空で花火のように弾けた。
 穢れた闇はあたりに舞う光に滲み、やがて塵となって飛散し、あとかたもなくきえていく。
 残ったのは、矛盾と苛烈な思いを昇華した、穏やかな笑み。
「……ザイード」
 水霊の纏いを剥がされたその身体のなかに、深々と魔剣の刃が埋まっている。
 透明な刃が、彼の血に黒く染まっていた。
 思わずラティエスを離すと、
「ありが、とう……」
 枯れ枝のような手指が、愛しい魔剣に触れる。
「お、い」
 まだ助かるのではないのか、と背後を振り返ると、いっそ冷酷に見えるほど強く光る漆黒の双眸に出会い、綺翠は息を飲んだ。
 その、黒檀の杖に縋り細い肩を上下させて苦しい息をする『炎精の蝶』は、乱れた長い黒髪のすきまから、ザイードだけをまっすぐに見据え、
「望みは、叶ったか」
 問われて、ふ、と皺だらけの顔で微笑んだザイードが、ラティエスの宝玉の瞳に触れる。
 とたんに、彼の身体が青銀の炎に包まれた。
「ああ、叶ったよ、キリィ・ラティエス・ヴァンデイン。愛しい、我が神」
「クソ、バカが。さっさと……眠れ」
 涙はなかった。
 けれど、涙の匂いが、した。
 その匂いに、
「綺翠っ!」
 くら、と世界がまわる。
 
 終わったのか。
 
 そう、思った。
 もう、人の姿に戻ることなど、どうでもいいような気さえする。
 ほかにここへとくる理由があったのなら、たぶん、それももう果たされたはず。
 魔剣ラティエスの、カナンリルドへ行き主を貫く、という目的は、果たされた。
 グラスランドも、『蟻塚』で起こった真実をそのうち『炎精の蝶』から聞かされるだろう。
 他人の熱を奪って生きたこの命が誰かの熱に変わるのなら、それでもいいか。
 
 けれど、たったひとつ。
 
「ああっ、ヴァンデイン様っ!」
 灰すらも残さない火葬の炎が消え、魔剣が音を立てて床に落ちる。
 そして、ふわ、と舞った躑躅(つつじ)色を追うように、黒檀の杖が派手な音を立てて床に転がるさまを、薄れる視界の隅に見た。
 長い黒髪が、躑躅色の法服の上にひろがる。
 西には生まれないはずの黒は、けれど東の生まれであるこちらにとっては、ひどく懐かしい色。
 青銀と、漆黒。
 それは故郷にある色彩。
 そこには、そう、
 
 約束が、残っている。
 
 たったひとつ。
 まだ果たしていない、約束。
 けれど、
 
 それはいったい、どんな約束だった。
 
 
 
 
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