「おまえ……さっきの連中、まさか」
「クラウディス王宮の衛兵ですねぇ。あははは」
 街道の西の端にある宿屋。その裏にまで逃れた旅人に追いついた綺翠は、さきほど地に転がしてきた連中が実はこの国の兵士である、と無駄に明るく笑いながら告げられて、思わず彼の襟を乱暴に掴んだ。
「笑いごとじゃないだろう」
 綺翠にがくがく揺すぶられながらも、えー、と旅人は暢気な声音を吐き出す。
「そんなこと言ったって、気付かないほうがどうかと思うしー」
「なんだと」
「って言うか、共犯になっちゃいましたね。僕たち」
 そう言われて、絶句する綺翠だ。
 つまりはそういうことなのだ。
 この旅人はなにかをやらかしたのだ。しかも、王宮で。
「……なにを、した」
 低い声音で凄んでみせると、にこにこ笑いながら旅人が、
「それを盗んできちゃった」
 と、綺翠の左手に押し付けたままの細長い荷物を、指差した。
 盗んできた、と明かされた綺翠は、内心で毒づきながら旅人の襟から手を離し、持っていた荷物を開ける。
 汚れの目立つ布を剥ぎ取ると、なかから金の刺繍がほどこされた豪奢な黒布で巻かれたものが出てきた。
 そして、そのいかにも王族が好みそうな上等の黒布を開いた綺翠は、
「っ!」
 喉に、息を飲んだ。
 
 まっさきに瞳に飛び込んできたのは、極上の青。
 嵐が過ぎ去ったあとの空のように、深く澄んだ青だ。
 黒布から繊細な輝きをこぼす、淡い金と白金に包まれている。
 荷物は、ひと振りの剣だった。
 水晶のように透き通った反りのない刃に、瀟洒(しょうしゃ)な姿。
 青石は、その美しい剣の柄飾りとして、こちらをまっすぐに見据えてくるのだ。
 
「魔剣ラティエス」
 
 え、と綺翠が魂を誘う青石から顔を上げると、声を発した旅人の茶色く大きな瞳に会う。
 どこか、強い意志のようなものをそこに見た気がして、眉根を寄せる。
 旅人は、使い込まれた桃花心木(マホガニー)材の杖を胸に引き寄せ、
「それを盗み出すために、ずいぶん苦労をしました。僕は、イスタシーナ・グラスランド。つい先日までは……クラウディス国宮廷魔衛士という肩書きがついていましたが、いまはただの魔法使いです」
 魔法使い。
 そう言って、ふ、とやわらかく笑んだ。
 そして、
「そんなわけで、呪われたくなかったら手伝ってくださいねー」
 しっかり脅してきた。
 
 
 
 
 空は、幾万の輝きが散りばめられた紺青。
 夏の気配を漂わせる夜気に、夜の鳥が啼く。
 角灯のなかで揺らめく蝋燭の火に、一匹の羽虫が誘われてやってくる。
 その羽虫を、窓に腰かけた綺翠はそちらに目をやることなく軽く手を振り、払った。
 宿屋の二階から見る街道は、漆黒の闇に包まれている。
 追っ手の姿は、なかった。
 それも、こちらを見てにこにこしている魔法使いのせいだ。どうやら、魔法とやらで自分たちの足跡を隠しているらしい。
 だが、そんなことができるのならば、衛兵に見つかるまえにしておけば良かったというのに。お陰で、面倒なことに巻き込まれてしまった。
 綺翠は舌打ちしたい気分を、ぐ、と押さえ込み、粗末な木製の卓の上に置かれているものに視線を移す。
 クラウディス王宮から盗まれてきた、国宝『魔剣ラティエス』。
 二色の金属でつくられた柄と、いまは鞘におさめられている透き通った刀身。そのふたつを分けるあたりから、こちらをまっすぐに見つめてくる、柄飾りの青石。
 それを見ていると、まるで炎に誘われる羽虫のような心地を覚える。
「国宝なんて、売り飛ばすわけにもいかないだろうに」
 青石から瞳を引き剥がすようにして魔法使いに視線を移し睨むと、いやだなぁ、とグラスランドは子どものように眉を寄せた。
「売ったりするわけがないじゃないですか。お金が欲しいだけなら、あのまま王宮に仕えていれば良かったわけですし。僕の家は百姓ですけど、別に貧乏というわけでもありませんからね」
「つまり……その剣を盗み出すために、王宮に出仕したのか」
「はい。そのとおりです!」
 悪者ならもうすこし卑屈になれよ、と思わずこちらが呆れるほど、悪びれたようすもなくグラスランドは元気良くうなずく。
 しかし、ふ、と一瞬、その茶色く大きな瞳に愁いのような色が滲んだ。
 気付いた綺翠が眉を寄せると、グラスランドはまたすぐにその色を消し去り、ふわりとした笑みを浮かべる。
「でも、ほんとに見事に巻き込まれちゃいましたねぇ、綺翠」
「……殴るぞ」
「ひ、ひどいっ! 僕、暴力は嫌いだな」
 あっというまに、グラスランドは瞳を潤ませた。その、まるでこちらが悪者であるような言い様に、綺翠の額には青筋が浮く。
 王宮から国宝を盗んできた上に、手伝わないと呪う、と通りすがりの人間を脅してきた極悪人は、やはり相当な厄介者らしい。
「だったら、さっさと俺のまえから消えろよ。俺はすぐに手が出る性質(たち)だ」
 苛立ちつつ言うと、えー、という空気を読まない暢気な声音がした。
「だから、それは駄目ですってば。僕ひとりじゃ無理ですもん。見捨てないでくださいよぅ。呪いますよ、ほんとに」
「知るか」
 短く言って、そのまま突き放すように目を逸らす。
 すると、すこしの間をおいたあと、
「そうですか……残念です」
 と、いまにも泣き出しそうな声音が言った。
 そのとき、ふわ、とどこからともなく、甘い花の香(か)が流れてくる。
 けれど窓の下に咲く花などはない。
 そして、さきほどまで聞こえていた鳥の歌が、ぴたりと止んだ。
 え、と思った瞬間、瞳の端に赤い光を見る。
「では、呪わせていただきまぁす」
 赤い光のなか、杖を床と水平に構えた魔法使いが、そう、まるで朝の鳥のような爽やかさで宣言した。
 
 
 
 
 
   
 
 
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