二挺の銃の引き金を、立て続けに引いた。
 素早い動作で弾を補充しては、興奮して暴れるシャドウを仕留める。
 弾丸を浴び、悲鳴を上げてがたついた石畳に転がる、黒い獣たち。
 そのなかで、
 
 鬱陶しいやつめ。今度こそ食い殺してやる。
 
 そうとでも言うように、左耳に穴の悪魔のようなシャドウが、凄まじい殺気を放ちながら恋を睨(ね)め付けてくる。そしてつぎの瞬間、くわっ、と牙鋭い口を開けると、脅威の脚力を見せて悪魔は恋のすぐ目のまえにまで跳ね上がった。
 鋭い牙のあいだに頭を捕らえ、そのまま力任せに食い千切ってしまおうと。
 しかし、
 す、とその時、背の傷の疼きを忘れた。
 すべての音が、消える。
 身体に纏わりつく恐怖も、息を潜めた。
 恋は落ち着き払って、ぐい、と『デボラ』の銃口を押し付けるように向け、
「五年前の借りを返す」
 今度こそ外すものか、と。
 至近距離からその醜い頭部に弾を、叩き込んだ。
 吹き飛ぶ中身と血飛沫が、重い音を立てながら石畳の上を汚す。
 おぞましい色のそれにようやく全身がざわりと粟立ち、恋は震えた。
 早鐘のような心臓の音が、うるさい。
 ぐ、と銃を握る右腕を左手で掴み、呼吸を深くする。
 左の手指に伝わる脈拍が、ゆっくりと落ち着いていく。
 そして、忘れていた頬を撫でる風の冷たさにふたたび気付くころ、ふ、とウタが階(きざはし)に横たわるメリッサに両手を当てるさまを見た。
「聞け、我が声を。いまここに立ち上がり、我の手足となりて彼(か)の黒き獣をなぎ倒せ!」
 とたん、
 
 ザアァ……ッ
 
 風が沸き起こった。
 ウタを中心に、風が渦を巻いて生まれたのだ。
 銀に輝くウタの波打つ髪がひろがり、漆黒の毛並みの数々の上を激しい風が扇状に渡る。
 あ、とうしろに飛ばされそうになった恋は思わず足もとの石の怪物を掴み、瞳を庇って銃を持った右手を上げた。
 そしてその不可思議な風がやむと、なにか重たい物が動くような音が続き、音の方へと銃口を向けた恋は、つぎの瞬間、目に飛び込んできた光景に絶句する。
 顔が半分ない半裸の白い女が、つまり自らの力で動くことはない石像であるはずのメリッサが、ぶん、と振り上げた右腕でシャドウを五匹まとめて殴り倒していたのだ。
 そして、すい、とウタの細く優美な指がシャドウの群れを指し、
「封魔の獣よ。我に従い、闇と月光とが満ちる静寂へと還るがいい!」
 メリッサが開くはずのない冷たいくちびるを開け、黒と銀が交じり合い渦巻く力の球体がそこに集中する。ウタに命じられて、メリッサは球体を口から勢い良く吐き出した。
 闇と銀の光の帯は、螺旋を描きながら逃げ出そうとしたシャドウの群れに突っ込み、一匹も逃がさず残さずに飲み込んだ。
 黒い群れを飲み込むと、光はそのまま収縮をはじめる。
 ゆっくりと、影を溶かして内側に巻き込むように。
 そして、光はてのひら大にまで収縮すると、しゅるり、とちいさな音を立てて消えた。
 恋はわけがわからず、足もとの広場を見下ろした。
 しかしそこに、さきほどまでの群れはない。
 光は、シャドウをわずかな肉片ひとつ残さずに消し去ってしまったのだ。
 残されたのは、恋が撃ち込んだ弾丸によって死んだ二十ほどの、シャドウの屍のみ。
 なんなんだ、とつぶやこうとするものの、くちびるだけが虚しく開くだけだ。
 あまりのことに呆然としていた恋は、ふと広場手前の瓦礫の向こうに人影を見つけ、はっ、と我に返った。
 わけがわからない、と瞳を瞬かせつつも、『デボラ』と『ダレル』をホルスターに収め、そのままひらりと下に飛び降りる。
 瞳が合うと、ウタは気まずげに瞳をそらした。
 だがメリッサの方は、腰に両手を当てて、どこか自分の仕事に満足げですらある。
「…………なに、コレ」
「メリッサ」
 ウタが身をすくめつつ答えた。
 すると汚れた硬い髪を撫でながら、表情はないがどことなく恥ずかしそうにメリッサがこちらを向く。
「とりあえず、なかに入れ」
 受け入れがたい現実をまえに、恋はウタと動く石像をとりあえず扉の内側に押し込んだ。
 直後、人影が瓦礫の向こうから現れる。
「おい〜っす。恋、無事かよ」
 広場のようすを見ながら、まるで遊びに来たかのような軽さで、アートが訊いて寄越した。
「ああ。無事、みたいだな」
 曖昧に笑ってみせ、ちら、と足もとを見る。
 
 半分が吹き飛んだ、悪魔の頭部。
 左耳の、銃弾が通り抜けた痕。
 
「もう終わっちまったかぁ。ざぁんねん」
「……ああ」
 短く答えた恋は、左腿のホルスターから柄に狼の彫刻が施されたナイフを一本抜いて、黒い頭部のすぐそばに屈み込んだ。ぎょろりとこちらを見据える赤目の縁に鋭い切っ先を差し入れ、ぐるり、と回して抉る。
 ぬめる血を纏って、硝子球のような硬質の目玉が手のなかにおさまった。
 生ぬるい、それ。
 背の傷が疼く。
 じくり、とその疼きは心臓にまで響いた。
 真紅の瞳が、じっとこちらを見据えて嗤っている。
 そんな気がしてならなかった。
「あと、おまえにやる」
 革の袋に右の目玉を放り込み、左に取りかかりながら言うと、アートが素っ頓狂な声を上げた。わざわざこちらの顔を覗き込んで、目のまえで手をひらひらと振ってくれる。
「おまえ、だいじょうぶかよ? 頭でもやられたか?」
「いや。弾を倍にして返すのが面倒なだけ。なんかどっと疲れた。昨夜もろくに寝てないせいか、半裸の女の幻覚が見える、気がする」
 ぼんやり言うと、羨ましいぜ、とアートは茶色い髪をかき回した。
「キャサリンだろ? あ〜あ、ムダに顔のイイヤツは得だよなぁ。んじゃ、遠慮なく目玉の方の幸運は分けてもらいますかね。悪いけど、俺様の手柄ってことにするからな」
「ああ、そうしてくれてかまわない」
「おまえ……マジでだいじょうぶかよ? 熱でもあんのか? ぼんやりしやがって」
 俺様に感染(うつ)すなよ、と言いつつも、ふたつめの目玉を革の袋に放り込んだ恋の額に、アートは大きな手を遠慮なく当てる。
「左耳に弾の痕……アイツかよ?」
 背の傷を知っている幼馴染みが言い、恋は小さく笑みながらうなずいた。
「そうかよ。んじゃ、きょうはしっかり寝ろよ。キャサリンから伝言を預かって来てっけど、それはあとまわしだな。寝ろ!」
 なに、と顔を上げるが、手を離したアートは知らん顔だ。
「仕事はあと! たまにはお兄ちゃんの言うことを聞きなさい」
「俺の方がお兄ちゃんじゃなかった?」
「俺様の方がお兄ちゃんだ! マンホールの下で、ママが恋しくて夜泣きしたおまえをよくあやしてやったろうが。歌まで歌ってやったろ?」
「…………忘れろよ、そんなの」
「あん時は超カワイかったなー。女の子みたいでさ。おまえの面倒みるの楽しくってよ」
 それがどうしてこんなに憎たらしいヤローになりやがったんだ、と軽く蹴られて、恋は迫力のない瞳で睨みつけた。
「いまも充分カワイイだろうが。ほら、はやく持ってきた伝言を聞かせろって、お兄様」
「聞かせてやってもいいけどよ。でぇもぉ、きょうはマジでやめとけ。わかったら返事!」
 わかった、としぶしぶ返事をすると、アートは満足げにうなずき、
「キアラン・シンクレアのことを知ってるやつを見つけた、ってよ」
 それを聞いたとたんに、くちびるをゆがめる恋だ。
「へえ。さすがキャサリン。ずいぶんはやいじゃないか。でもちょっと……拍子抜けだな」
 そうつぶやき苦笑した恋は、伝言を聞いておとなしくしているはずがないと多少なりとも予測していただろう、呆れ半分諦め半分の幼馴染みを見上げ、に、と不敵に笑んでみせる。
「お兄様。気まぐれで言うこと聞かないカワイイ弟のことが心配なら、目玉を回収したあとで、ちょっと付き合ってくれる? そのあとは、ちゃんと良い子でいるからさ」
 
  

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