こいつの処理を頼む、と男の死骸を抱えて教会に飛び込み、なかにいた者に事情を話すこともせずふたたび外に飛び出した恋は、キャサリンが行き先に指定したシャドウブレイカーの情報交換の場となっているバーまで走った。
「今日はなるべく外に出ないでくれ」
 バーのなかにキャサリンを押し込みそう言うと、いつもより険しい表情の恋を目敏く見つけた若い同業者がひとり、近寄ってくる。
「どうした、恋? イイ女が団体でいたか?」
 以前おなじマンホールに暮らしていた幼馴染でもあるアートはそうおどけてみせるが、その瞳は鋭く、おまえひとりでは手に負えない数のシャドウか、と暗に訊いていた。
「ああ、とびきりの美女の団体だ。確認した分だけなら俺ひとりで十分相手をしてやれるが、増えるかも知れない。その時は、おまえが元気なら、分けてやってもいいぜ?」
 に、と笑ってみせと、アートは煙草をくわえたまま、弾を入れたケースを投げてくれる。
「気が向いたら三十分後にでも行ってやるよ。そのかわり、おまえが全部を骨抜きにしたあとだったら、そん時は弾を倍にして返せよ」
 オーケー、とウインクを返すと突然、ぐい、と頬を両手で包まれて顔の向きを返られた。怖いほどに真剣な顔をしたキャサリンだ。
「いい? ウタちゃんのことは心配だけど、無茶はいけないわ。人捜しの方は任せて。絶対に見つけてみせるから。だから、無事でいて」
「ああ、わかっている」
「見つけられたらちゃんとご褒美をちょうだい」
「オーケー」
 笑って背を向ける。皆に訊きたいことがあるのよ、と早速声を張り上げるキャサリンの声が扉の向こうに消え、それを合図に恋は走り出した。
 途中、どこかで寄り道をしていたらしいようすのキャサリンのボディガードとすれ違い、突然こちらの腕を掴んだ酔っ払いを殴り飛ばしてその上を飛び越え、ゴミ箱を漁る痩せた野良猫の脇を通る。教会のまえでは声をかけられたが、無視をした。そして、
 銀行のまえを駆け抜け、腐った水の臭いが流れる広場を見渡す瓦礫の上に飛び乗った恋は、そこから見えたものに息を飲むと、すばやく瓦礫から下りていったん身を隠す。
「……なんだよ、あれ」
 つぶやいて、ポケットに押し込んでいたケースの中身をざっと数えた恋は、舌打ちした。
 とてもではないが、足りない。
「増えるにしても、限度がある……っ」
 なかに埋め込まれた鉄の棒が飛び出しているコンクリートの陰から覗いた広場は、漆黒に埋め尽くされていた。十や二十どころではない数のシャドウが、恋の住処に向かって鋭い牙を剥き出していたのだ。
 素早くあたりを見まわすと、恋は『デボラ』を構えたままで広場手前の建物内に走り込み、シャドウが入り込んでいないことを確認しつつ奥に進んだ。
 下半分が錆び落ちたこの建物の外階段には、うちから三階まで駆け上がって出る。そこから硝子のない隣の窓に飛び移って、ぬ、と現れた酔っ払いを驚かせつつ暗い廊下を過ぎ、屋上に上がった。
 なんだコイツ、と言わんばかりの、高みの見物を決め込んでいるらしいカラスの冷たい視線を無視して、空のタンクのそばから顔を覗かせ広場を見下ろす。
 ちょうど、あの左耳に穴を開けたひときわ身体の大きなシャドウが、汚い噴水をひと跳びにして、メリッサが横たわる階(きざはし)のすぐてまえにまで寄ったところだった。匂いを嗅ぎ、大きな唸り声を上げる。それにつられるように、あちらこちらから地響きのように唸り声が湧き上がった。
 アアァ、とこちらに向かって意地悪く鳴いたカラスを、ちら、と恋は睨み、
「俺が死ぬのを待っているのか? おまえが丸焼きになる方がはやいかも知れないぜ」
 にやりと笑ってそう言うと、身を低くしてその場を離れた。
 隣のビルは昔のごたごたで内側から爆破されたらしく、半壊している。そのコンクリートの壁の一部が、背の低いこちらの建物を抉るようにして倒れ込んでいて、五階より下の階が使い物にならないそのビルへと入り込む唯一の道だ。
「おい、おまえ。邪魔したら撃ち落すからな」
 カラスを振り返り銃口を向けるふりをして一応脅しておくと、恋は斜めにめり込むコンクリートに慎重に足を乗せた。そして、美術館に気を取られてこちらに気付かないシャドウを横目で睨みつつ、一気に危ないコンクリートの橋を駆け抜ける。
 勢いがついたために埃の積もった床で一回転した恋は、吹き飛ばされたビル内部にシャドウの姿がないことを確認すると、硝子のない窓が並ぶ広場側の廊下を、外のようすを見ながら進んだ。
 掛けられている鍵を大きな音を立てないよう慎重に壊して非常口を開け、梯子が折り畳まれて収納されている箱に上って、そこから隣の屋根に飛び移る。
 しかしそこで、ガラッ、と足もとで派手な音を立ててしまい、恋は慌てて身を伏せるが、さらに運悪く、風の向きまでもが変わってしまった。
 くそ、と舌打ちをしつつ、屋根の端へと慎重に寄る。
 下を見ると、耳の長いシャドウが数匹、こちらを見上げて牙を剥いていた。そのうちの二匹が、赤い瞳をぎらつかせながら建物のなかに飛び込む。
 美術館はすぐそこ。隣の屋根を渡り、気味の悪い怪物を模った小さな石像が守る石の屋根に上がれば、崩れ落ちた部分からなかに入ることができるのだ。
 隣の屋根までは助走が必要だが、しかし途中でこの壊れやすい屋根を踏み抜けば、下にはシャドウが待っている。
 もう一度、広場を見た。
 あの頭の良いシャドウがこちらを見、そして凶暴な笑みに禍々しい赤の瞳を細める。
 垂れ下がった赤い舌から、どろりと糸を引いて涎が滴り落ちた。
 あの鋭いナイフのような爪に抉られた背の傷が思い出したように、痛みだすようだ。
 す、と恋は『デボラ』を持った右腕を上げ、引き金を引いた。
 乾いた発砲音と共に、弾丸のまえに飛び出した別のシャドウが弾け飛び、庇われたシャドウは、まるで人間のようにいやらしく黒いくちびるを歪めてせせら笑う。
「……悪魔め」
 短くつぶやいて、一度うしろに下がった。そこから一気に駆けて、耳の長いシャドウが見上げる隙間を飛び越え、次の屋根に飛び移る。
 ガンッ、と先ほどまでいた屋根に取り付けられた扉が揺れるが、形が歪んでしまっていたためか、シャドウ二匹に体当たりされてもそこは開かなかった。
 悔しそうな吼え声を背に美術館の石の屋根にようやく飛び移った恋は、しかしそこで大きく瞠目するはめになる。
 なんとかあの悪魔のようなシャドウだけでも、と怪物の石像をまたぎ銃口を向けたその時、美術館の扉が軋みながら開いたのだ。
「あの、ばか……っ!」
 扉の隙間から現れた銀色に、舌打ちする。
 一瞬、ウタの姿を見たシャドウたちが、沈黙した。だがすぐに、一斉に飛びかかろうと闇色の身を屈める。
「ウタッ!」
 はっ、とこちらを見上げる銀の双眸。
 同時に襲いかかる、いくつもの燃える真紅の双眸。
 
  

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