アートは瞳だけをせわしなく動かし、床に伏しているはずの恋の姿を探した。そして無理やりに振り返り、大きく瞠目する。
「恋……っ!」
 禍々しいほどに美しい真紅の双眸を、冷酷に光らせた幼馴染みの姿が、すぐ目のまえに。
 その手に握られた四十四口径の銃が、ぴた、と眉間に押し当てられている。
 冷たい汗に濡れた金の髪と、苦痛のために血の気の引いた顔。
 すらりと背筋を伸ばして立ち、右に握った銃を容赦なく突き付けてくる姿は、その異様な瞳さえ除けばもとの彼のまま。
 その、色のないくちびるが、
「邪魔」
 長い唸り声のかわりに、短く言った。
 撃たれる。
 そう思いとっさに瞳を閉じたアートに、ふと血の匂いが濃く迫った。
 そして、銃声。
「…………なん、だ?」
 アートはそれを、血に汚れた黒い獣毛の下で聞いた。
 ついで、遅れたように上がる、老人の悲鳴を。
 気付けば床に倒れており、自分の腹の上には前足の太いシャドウが乗り上げているではないか。
 呆然とするアートに、頭の上から、
「誰の目付きと態度が悪くて、凶暴だって?」
 苦笑混じりの声音が、降ってきた。
 見下ろしてくる、濃いブルーの瞳。
「……恋。おまえ……正気、なのか?」
「そうみたい」
「そうみたい、っておまえなあっ!」
「俺もまだ死ねないから」
 まだ、死ねない。
 そう言って恋は笑んでみせるが、眩暈に身体が傾(かし)ぐ。
 ぐ、と足に力を入れたためになんとか倒れずに済むが、腕が下がってしまった。すると、恋の銃口の先から逸れるよう床の上にアートを押し倒した血塗れのシャドウが立ち上がり、ふらふらとこちらを支えにくる。
 封は律に従い、律を守る。そうすることで『黯い魚の歌』の力を封じ、それを守っている。そうするように、魔術師キアラン・シンクレアにつくられているのだ。けれど、
 気に入っている、とこのシャドウは言った。
 恋を気に入っているのだ、と。
 それはウタがそうであるからなのか。
 それとも、こちらがウタをそう思うからであるのか。
 そのどちらにしろ、この身を守るシャドウの血が触れた瞬間、アートの声が聞こえたのだ。
「また、助けられたな」
 そう言って、血を流す首のあたりを撫でてやる。すると、安心したように、血まみれのシャドウは真紅の瞳を穏やかに閉じ、崩れ落ちてしまった。
「…………祓って、やるからな」
 くちびるを噛み重たい銃を握り直して、檀上で肩から流れる血を散らしながらのた打ち回る司教オズワルドを見据えた恋は、背後に黒い獣たちの唸り声を聞きつつ再度右腕を上げる。
 司教オズワルドとともにいた老神官たちはもう声すら出せないほどに怯えていて、誰も悲鳴を上げて転げまわる彼を助けようともしない。
「未(いま)だ生きている」
 背後に並ぶ封の群れのなかから声が聞こえた。
 とどめを、といまにも襲い掛かろうとする気配に、恋は静かに首を横に振る。
「司教には生きて責任を取ってもらう」
 そして、すい、と視線を移し、
「ねえ、ボブおじさん」
 そう呼び掛けた。
「まだ寝るつもりでいるなら、この重くて反動キツイ銃で起こしてやるけど、どうする」
 俺に起こして欲しいのかよ、と銃口をずらして訊ねると、オズワルドのそばに倒れていたボブが首の根に手をやりながらも、むくり、とその身を起こした。
「って、生きてんのかよっ!」
 床に座り込んだままのアートに、しぶとい、と言われて、恋とダレルに気を取られている隙になんらかの術をかけられて気を失っていたらしいボブが忌々しげに舌打ちする。
「殺さない程度に見張っておいてくれる?」
 腰に下げていた銃を抜いてオズワルドの襟を掴んだボブに、くちびるだけを笑ませてそう言って、恋は銃を下ろした。
 血溜まりで動かない弟を見つめ、そして、唸り、牙を剥くのをやめた封たちを眺めて、
「シャドウ……祓ってやるからな」
 その身にまとわりつく、黒い影を。
 強欲から生まれた、負に汚れた闇を。
  

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