するり、とフードが脱ぎ落とされる。
「ママのつぎは、弟の僕?」
 笑いながら訊ねてくるネクロマンサーの黒いフードからこぼれたのが、やわらかい金色の髪。
 デボラと、そして自分にも少し似た、顔。
「覚えてるよね、兄さん。僕だよ、ダレルだよ。ねえ、『    』兄さん」
 幼いころに失くしたなまえで、呼ばれる。
「会いたかったよ、とっても。ずっとずぅっと、会いたかった」
 けれど、恋の銃を持つ腕と濃いブルーの瞳は、揺るがなかった。
 血まみれの手を伸ばされても、ぐ、と銃口を押し付け、触れられることを拒む。
 とたんに少年の顔が引きつり、上ずった声で言った。
「僕、を……殺すの?」
「デボラを殺したのは、おまえか」
 静かに訊くと、見開かれたブルーの瞳が泳ぎ、震え出した。
「なぜだ」
 すると、だって、と血を流し続ける右腕を庇いながら、少年が顔を歪めて叫ぶ。
「だって、ママは嘘つきだ! 僕のことが一番だって言いながら、あんたのことばっかり話すんだ! 自分で捨てたくせに! それなのに! 綺麗な子だった、優しい子だった、愛しい子だった、って! 毎日毎日言うんだ! あんまりうるさいから、だから……っ!」
 だから、と震えながら叫んだ少年は、しかし、ふと歪んだ笑みを浮かべた。
「ううん、違う。殺したのはあんただ。あんたが殺したんだよ、兄さん。ママの頭を撃ったんでしょ? あはは。あんたが殺したんだ……ふふ……まさか、あんたが恋だったなんてね……ふふふ……ねえ、ママを殺した気分は、どう? 良かった?」
 あはは、と壊れた笑い声を高く放つ少年を、恋は冷えた瞳で眺めた。そして、
「…………人違いじゃないのか?」
「え? な……なに?」
 少年の額に押し当てていた銃を下ろし、にこ、と恋は微笑んで見せる。
 胸が、潰れるかと思った。
「悪いが、人違いだ」
 ゆっくりと、少年が瞠目する。
「俺は、恋・ローウェル。ほかになまえはない。それに弟なんてものにも、覚えはないな」
「で、でも……っ!」
「顔が似てる、って? 冗談はやめてもらえるか。俺みたいなカワイコちゃん、そうそういるわけないだろう? 似ているのは、ただこの髪の色きり。自惚れんなよ、ガキ」
 言葉では突き放すものの、声音ばかりはそう尖らせることもできずに。
 弾丸を寄越すかわりに、ぽん、と金色の髪を軽く叩いてやった。
 すると、少年は大きく瞳を瞠ったまま力なくうつむき、恋の手が離れると、血に汚れたおのれのマントの裾を、ぐ、と掴んだ。しばらくそうして黙り込み、やがて、
「……ずっと、教会に通ってたんだ。ママが、僕だけを愛してくれるように、ずっとずっと祈ってた。でも、フィオナは答えてなんかくれなかった。僕に答えてくれたのは、この地下に閉じ込められて死に掛けた、魔術師だけだった。嘘つきは殺して、そのあとも呪わなきゃいけない、ってそう……教えてくれたんだ。死人(しびと)は僕に忠実で、絶対に裏切らない。だから……僕は、僕は……ママを」
「だが人は、誰かに玩具にされるために生まれるわけじゃない。死んだあとも、そうだ。おまえのしたことは、間違っている。おまえもそれは……わかっているんじゃないのか?」
 違うか、と感情を込めないままでそう訊ねると、幼子のように歪めた顔を涙に濡らしながら、少年はゆっくりとうなずいた。
「……こわ、かった……ママの胸に暗い穴が、できて……ママが動かなくなって、血がいっぱいで、怖くて。なんで……なんで、ママを殺しちゃったんだろう、ってそう思って……だから、生き返らせようと、思ったんだけど……僕にはできなくて……だから僕は、僕を裏切らない新しいフィオナが、欲しかった」
「………………」
「ご……ごめん、なさい……っ」
「ただひとり答えてくれた魔術師の言葉は、残念だが、間違っていたな。そいつはおそらく、偽られてここに閉じ込められたせいで……心を歪めてしまったんだろう」
 いつの間にかシャドウたちの唸り声もおさまり、ラボには少年の泣き声だけが、静かに響く。
「……ダレル」
 そう恋が呼びかけると、少年は青白い泣き顔を上げた。
 母に似たブルーの瞳から、涙がこぼれる。
「どうせなら、死んだ人間じゃなく生きた人間のなかで、生きていけ」
「え……?」
「死人の手にあやされるな。自分がやらかしたことに、きっちり責任取れ。これからは、もう……暗い穴の夢なんて、見るな」
「なん、で?」
「楽しい夢を見る方が、瓦礫のなかでも、なんとか生きていける気がするだろう」
「そうじゃ、なくて……生きても、いいの?」
 僕は生きてもいいの、と縋るように見つめられた。
 
 生きて欲しい。
 
 馬鹿なやつに育っていたのだとしても、
 この先、生きるのが辛いのだとしても、
 それでもやはり、生きていて欲しい。
 こんなところでいまのまま死なれたら、なんのために自分が捨てられてやったのか、今度こそほんとうにわからなくなる。
 誰がおしめを変えてやったと思っている。
 自分の銃に『ダレル』なんてなまえ、付けているくらい。
 どんな形であろうと、生きているとわかって嬉しかった。嬉しいと思えた。
 だから、
 これからも生きていて欲しい。
 
 ぐ、と言いたいことを胸に隠して、恋は肩をすくめてみせた。
「さあね。いいんじゃない、別に。そんなことは自分で決めろよ。二度と俺に迷惑かけないなら、俺はそれでオーケー。生きたいんならその腕、さっさと止血しろよ」
「……恋。あんたも、嘘つきだね」
「どういう意味だ」
 思わず恋が顔を強張らせると、にこ、と涙をこぼしながらもダレルは、これまでとは全く違う笑みを浮かべる。長く心を縛っていた鎖から解かれたような、そんな笑みだ。
「僕、生きるよ。生きたい。もう一度はじめから生き直したい。そうして、もう一度……兄さんに会いに行く。だから、ネクロマンサーのフレイザーは、いまここで死ぬよ」
 ビィッ、とマントの裾を左手と歯を使って破ったダレルは、ぎゅ、と血を流す肩に黒い布を巻き付けて縛りながら、言った。
「恋、『眠れる姫君』を返してあげる。魔封じを、取ってあげるよ」
 返してあげるから、とそう言って、ダレルは瞳を閉じたままのウタに手を伸ばし、
 そして、
 
「ダレルッ!」
 
 突然の銃声のあと、血と硝子の破片のなかに、倒れた。
  

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