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扉が開けられアートとボブが階(きざはし)を下りはじめる足音を聞きながら、恋は垂直になった狭い空間で深い溜息をついていた。 ず、と一方の壁に預けた背を離さないように身体をずり下げて、膝を少し伸ばしもう一方の壁につけたブーツの底をずり下げる。それを何度も繰り返しダクトのなかを下へ下へと移動していた。 「俺って、どうしても暗くて狭いところに縁があるみたいだな。自分でやってて嫌になるぜ」 独り言をつぶやいて、下降途中で髪についていた蜘蛛の巣を剥がして捨てる。 垂直下降が終わったつぎは、匍匐前進だ。 「あの阿呆女。よけいな仕事を増やしてくれやがって、絶対追加料金取ってやる」 舌打ちしつつ、横に伸びた空気の通り道に身体を滑り込ませる。 しばらく行くと、人の話し声が聞こえた。音を立てないように蜘蛛の巣を壊しつつその声がする方へと進むと、ふと眩しい光が前方に見えはじめる。 壁にはめ込まれた四角い網に這い寄り、その隙間から白い光をもらす円形の部屋のなかを覗くと、正面に、ウタを見付けた。 中央に置かれた円筒形の硝子ケースのなかで、眠っているのか、銀色の瞳をいまは閉じている。 とりあえず、怪我はなさそうだ。 ふ、と息を吐き出して、つぎにその周囲に瞳を移した。右側に設けられた檀上には、並べた椅子の上で顔を強張らせた老人が五人。 そのうちの中央に据えた椅子に座る白髪には見覚えがある。司教のオズワルドだ。 彼らのいる壇は人の背丈より高く、さまざまな薬品や機材、赤い目玉を浮かべた液体を入れたたくさんの瓶など、ラボ全体をくまなく眺めることができるようになっている。ラボに下りるための階(きざはし)はなく、かわりにうしろに扉がひとつ。おそらくそこから容易に地上に出る秘密があるのだろう。 少し身体をずらして左を見ると、黒いフード付のマントに身を包み、手には長い杖を持つ何者かのうしろ姿があった。そして、先に到着しその黒マントに銃を向けるアートとボブの姿がある。 黒マントが、まだ若い声で笑った。 「あれ? おかしいなぁ。確か恋って、太っちょのバカ司祭が熱を上げるくらいの美形って聞いてたんだけどな。それに、一緒に来るとしたらレンの幼馴染みのアートっていうシャドウブレイカー、って。でも、片方おっさんだね。もしかして情報間違ってる?」 変だなぁ、と笑いながら首を傾げる黒マントに、アートが心底嫌そうな顔をする。 「どういう意味だそりゃ。俺様、充分美人ちゃんだろうが。よく見てからもの言えテメエ」 「ねえコレ、ほんとに恋?」 そう言って司教を振り返った際に、黒マントの顔がわずかに見えた。やはりまだ幼さの抜け切っていない顔つき。年下だろう。 オズワルド司教が椅子から立ち上がって、銃を持つふたりを見つめると、ボブが黒マントから銃口を彼に向け直す。 「……どちらも、恋・ローウェルではありませんね。若い方がアート。左の男は……どこかで見たような気がするのですが……」 「ふうん。恋じゃないんだ。もしかしてここに来る途中で、僕の作品に殺されちゃったのかな?」 ふふ、とフレイザーと呼ばれた黒マントが笑って、銃を向けられているにも関わらず、あろうことか襲撃者に背を向けて硝子ケースに歩み寄った。 「だったら僕は、間違ってなかったのかもしれないね。デボラってなまえの玩具をたくさん探すのにはちょっと苦労しちゃったけど、無駄じゃなかったんだ。どのデボラが、恋が自分の銃になまえをつけちゃうくらい大切な人だったんだろうね。ひどく腐らないように大事にとっておいた、僕のお気に入りのあの彼女かな? もしそうだとしたらすごいよ! 偶然さえも僕の才能ってことだもの! ねえ、そうだろう『眠れる姫君』!」 硝子越しにウタの白い頬に触れ、うっとりと自分に酔いしれたネクロマンサーが言う。 すると、 「……おまえが、死体を操ってる悪趣味野郎かよ」 恋がこれまで聞いたことがないほどに低い声音で、アートが無表情に言った。 しかしそれを鼻で嗤ったネクロマンサーは、肩越しに振り返り、無言でアートを眺める。 「笑えるぜ。こんな変態が教会んなかにいるとはなぁ」 大司祭以上が並ぶ壇上を睨み付けたアートは、嫌悪して吐き捨てた。 その言葉にオズワルド司教の瞳が揺らぐ。けれどなにも返さなかった。ただじっとくちびるを引き結んでいる。 恋はホルスターから『デボラ』をゆっくりと抜き、ダクトの網にそっと手を掛けた。音を立てないように斜めにして手前に引き入れ、いつでも飛び出せるように身構える。 ふふ、とフレイザーが笑った。 「変態、って言った? きみ、頭悪いんだね。僕のしてることは芸術なのに。だって、死人(しびと)たちが僕を呼ぶんだ。苦しい、悲しい、悔しい。それに、怖い! ってね。フロストロイドにはそういう死体がごろごろしてるんだよ。だから、僕が動く力を与えてあげてるんだ! 死に際のそういう暗い感情が強く染み付いた死人は、とっても操りやすくていいよ。ねえ、考えてみてよ。ぞくぞくしない? あいつらは僕がいないと、ただのゴミ。僕がいて、操ってあげてるから、心に溜まった闇を生きてるやつらにぶつけることができるんだよ! 僕はなんて優しいんだろう。ねえ、そう思わない?」 それを聞きながら恋は、ぐ、と無言のまま左手で縁(へり)を掴んだ。しかし、まだだ、とまるで硝子の棺のようなケースに入れられたウタを、焦る心を押し殺して見つめる。 いまのウタは死んだように瞳を閉じたままで、動く気配が全くない。 上に着せてやったチョコレート色のパーカは脱がされ、いまはピンクの花のようなワンピース姿のウタの全身には、光る模様の浮かび上がる緑の帯がまとわりついていた。 生命の温もりではなく、つくりものの冷たさとともに。 魔封じ。 そうして封じられる姿に、ウタがほんとうに人間ではないのだと思い知らされるよう。 けれど。 ウタは、悲しみ怯える。後悔もするし、怒りもする。それに、笑う。 「……もう少しだけ、待て」 恋は自分に言い聞かせて、心を落ち着けるために瞳を閉じた。 暗闇にふと浮かんだのは、もう母の腕ではない。 ふつふつと込み上げてくるものは、もう虚しさではない。 「テメエふざけんなよ。なにがゲージュツだ。ゲージュツってのはな、テメエじゃなくてこの俺様のことを言うんだよ! 俺様のゲージュツの一発で、変態もあっさり地獄行きだぜ!」 「ふふ、何を言ってるのかな。きみはほんとうに馬鹿なんだね。僕がきみなんかにやられると本気で思ってるなんて。それじゃあ、仕方がないから、僕のとっておきの作品を見せてあげるよ。ああ、楽しみだね。きみたちが死んだらそのあとは僕が操ってあげる。それから、恋もね」 笑いながら、フレイザーが手にした杖を振り上げた。 その瞬間、フレイザーだけでなく司教たちの視線も、その杖へと集中する。 その一瞬を見逃さず、恋はダクトから素早く部屋のなかへと飛び降りた。 「な、なにっ?」 瞠目してこちらを振り返ったフレイザーに『デボラ』を突きつけ、着地すると同時に抜いた『ダレル』を司教たちへ向けて、 「動くなよ」 短い言葉を押し付けた。それでも動こうとしたネクロマンサーに、容赦ない脅しの一発でその腕を貫く。 「動くな、と言っただろう」 ぎゃっ、と悲鳴を上げたフレイザーが杖を落としてしまった右腕を押さえて、床にしゃがみこんだ。 「恋!」 アートの顔に、いつものにやけ笑いが戻る。 「ダクトから登場たぁ、またホコリ高いご登場ですねぇ、真っ黒王子様」 「おかげですっかり蜘蛛と仲良し」 アートにそう言って答えると、床の上から憎しみを込めた瞳がこちらを睨んだ。 「……恋……生きて、たんだ」 「まあね」 向けられた歪んだ笑みに、にこ、となるべく爽やかに見えるように笑ってやる。 「へえ、ホントに……埃で汚れているけど、綺麗な顔。彼女に似てるよ……デボラに」 す、と瞳を細めた恋に、にやり、と顔を隠すフードの下でフレイザーが笑った。 |