「…………確かに、汚れた感じの司祭だけど! それ以前になんで俺なわけ? 俺の貞操はどうだっていいのかよ?」
「っつーか、貞操なんかないだろ。いまさら」
「だったらおまえがやれよ! ついさっき、人肌が恋しい、って言ったばかりだろ」
「あはっ、俺様じゃムリだね! だって俺様、おねえちゃんにモテてもおっさんにはモテないもぉん! それに俺様が恋しいのは、おねえちゃんの柔肌で、おっさんのぶよぶよした肉じゃねえの! 諦めろよ、恋。無駄にカワイコちゃんに生まれたおまえの、これが運命ってヤツ」
「駄々をこねている場合ではないだろう」
 ウタを助けるんじゃないのか、とボブに言われて、恋は嫌々物陰から顔見知りの司祭のまえに出た。
 だがやはり、恋の顔を見たとたん司祭は、ひっ、と短く悲鳴を上げると鼻を押さえ、震えながらあとずさる。
 うまくたぶらかせよ、と送り出したふたりが見守るなか、深い溜息をついて雨に濡れた金髪を手指でかきやりつつ、恋はしなやかに歩み寄る。
「グレゴリー師、久しぶり。鼻はだいじょうぶかよ」
「レレレレ、レン。な、なんの、用かな」
 問われて、恋はにっこりと笑って見せた。嫌悪感を押し殺して笑みつつ、ぐ、と少々乱暴に相手を引き寄せて、肉付きの良い肩に腕をまわす。そしてさらにその耳にくちびるを寄せ、
「ちょっと顔貸せ。下手に騒ぐと、鼻だけじゃ済まないぜ」
 声音ばかりは甘い囁きで、いきなりとどめをさす。
 抜いてすらいない銃で脅されているかのように凍り付いてしまった司祭を、逃がしてしまわないようにと捕まえたまま、恋はアートとボブを呼びつけた。
「ありゃ。五分も経ってないけど、司祭のおっさんはあっけなく恋ちゃんのお色気に陥落?」
「脅したな。まったく堪え性のないやつだ」
 銃を携帯している三人に囲まれ、嫌な汗を流して震え上がる司祭に、恋は濡れた金髪の下からひどく爽やかに微笑んでやる。
「スピネルドームの地下に行きたい。案内してくれるよな」
 もちろん嫌とは言わせないけれど、と引き攣った顔を覗き込んでやると、司祭は壊れた玩具のように首をかくかくと縦に振った。
「うわぉ。さっすが司祭様、やっさしぃ〜。んじゃ、さくさく行こうぜ」
 そう言ったアートに踵を軽く蹴られてぎくしゃくと歩き出した司祭とともに、恋たちはスピネルドームの西側の目立たない入り口へ。
 見張りには、特別な参拝者だとごまかして、扉の内へと入り込む。
「こ、ここは特に信仰心の篤い信者のための部屋で……」
 まず無理やり通させた部屋は、正面に白く美しい神像が硝子越しに見える小部屋。そこに設(しつら)えた椅子や絨毯は、がらくただらけの町中では容易く見ることができないほどの上等のもの。つまりは、教会に多額の寄付をする者たちのための、祈りの部屋というわけだ。
「ち、地下はわたしなども入れないほどの聖域で……い、いえ、地下にはこの部屋を出たすぐ左にある階段から、どうぞ……」
 そう言い置き、これ以上は関わりたくはない、と青い顔で逃げ出そうとした司祭の腕を、恋はぐいと引き止める。
「ひぃっ?」
 ぐ、と力任せに引き寄せた司祭を強引に床に跪かせた恋は、しっかりと逃がさないように法服の襟を捕まえたまま、間近から色香のある瞳で笑いかけた。
「まだ死にたくないなら、ここでおとなしくしていろよ。外に出ると危ないぜ」
「ど、どいういうこと……?」
「シャドウが群れでなだれ込んでくる。俺たちが出ていったあとは鍵をして、なにがあっても誰に呼ばれても絶対に開けるな。オーケー?」
 相手の不安をあおるような暗い声で言うと、司祭はぶるりと太った身体を大きく震わせ、上等の敷物を頭から被って小さくなり、
「お……オーケー」
「案内には礼を言う。たがシャドウが狙っているのは、白い服を着てまるまる太ったあんたらだからな」
 最後にそう脅しつけて、恋は立ち上がる。
 硝子の向こう側で微笑みかける神像が、ちらり、と視界に入った。
 ウタとは少しも、似ていない。
 かびの生えたその心臓。これから壊しに行ってくるぜ。
 胸の内でそうつぶやきながら、女神に向けてウインクをひとつ。
 そして人がいないことを確認したあと、するりと司祭ひとりを残した小部屋をあとにする。
 教えられた階(きざはし)を覗き込むと、見張りふたりの姿が見えた。双方ともまだ若い。
「恋ちゃん。この先のプランは?」
「突っ込む」
「なるほど。そりゃ俺様も得意……って、コラ。おまえってなんでそういつも無計画なの?」
「ヒトのことが言えるかよ。それに、グレゴリーがあの部屋から出てこなかったにしても、どうせすぐに見付かる」
「おまえなぁ」
 相手はシャドウじゃないんだぜ、と呆れられるが、恋は軽く肩をすくめてみせた。
「わかっている。だがこの下は司祭も入れないような場所なんだろう。だったら俺たちみたいに物騒な銃やナイフを持った見張りなんて、たぶん置いていないはずだ。いるとしたなら、もっと危ない魔術師かなにかだろう。違うか?」
 ボブに視線を向けると、うなずきが返る。
「魔封じ、なんてものは魔力がないと扱えない。銀の娘を捕えてしまうくらいなら、それなりに強力な魔術師、あるいは神官がいるだろう。だが、キアランほどの力はない。だから、銀の娘の居所がまったく知れないうちは手も足も出なかったのだろう。しかしそうすると、その分ラボには面倒な仕掛けが施されている可能性が高い、と考えてもいいだろうな」
「悪ぃ。なに言ってっかさっぱり分かんねぇ」
「だから、突っ込むしかないんだろう」
 そう言って肩をすくめてみせた恋は、行くぞ、と無言で銃を構えていない左手を上げて合図すると、まっさきに階を駆け下りた。二階分下りると、そのあとは途中から手摺りを越え、踊り場に立つ見張りの二人の目のまえに、ひらり、と飛び降りる。
 はっ、と見張りたちは瞠目するが、遅い。
 声を上げるひまなどは一切与えずに、ひとりには首の根に銃のグリップを叩き込み、もうひとりにはきれいに足払いを食わせた。
 あっという間に二人を床に転がした恋は、床に頭を打ち付けて気を失った男を飛び越えて、振り返りもせずにさらに下へと向う。
「もうっ、恋ちゃんたら暴れん坊っ。あ〜、あいつのあとだとラクチン〜」
 遊びに行く調子のまま足取りも軽く見張りをまたいでいくアートとは逆に、ボブは床に伸びたひとりひとりに用心深く銃を向け、得物は持っていないか、と懐を探った。
 長い階の先にあった廊下のまえにいた見張りも早々に伸してしまった恋は、アートたちが来るのを廊下のようすを見ながら待つ。
 暗い廊下の奥でゆらゆら揺れている蝋燭の明かりに、見張りらしき者の影が四つで、そのむこうに彫刻のある扉がひとつ。
 追いついたアートとボブがそれぞれ柱の影に隠れると、三人は無言でうなずき合い、銃口を向けた。
 
 
 
「ああ、なんて綺麗なんだろうね。ふふ……『眠れる姫君』。君はもうすぐ僕のもの」
 ラボの中央。
 立てて置かれた円筒形の分厚い硝子ケースのなかには、人型の魔道書であり魔術兵器である『黯い魚の歌』がある。
「君の美しい瞳が開いて僕を見つめるその瞬間が、今から楽しみで楽しみで仕方がないよ」
 ふふ、とケースのちょうどウタの閉じられた瞳の上あたりに、そっとてのひらを当てて笑う男は、黒いフード付のマントに長い杖といういでたち。遠巻きに彼を眺める金糸の刺繍が施された白い法服の老神官たちのなかにあっては異様だが、本人は全く気にしていないようだ。まだどこか幼さが残るらしい青白いような顔で満足そうに笑い、うっとりと『黯い魚の歌』に見入っている。
「フレイザー。ほんとうに、だいじょうぶなのでしょうね。その……君ひとりに任せて」
 司教オズワルドに問われて、フレイザーと呼ばれた男は振り返り、にやり、と笑った。
「僕の力が信用できないのかい? あなたたちができなかったことをしたのは誰? そう、この僕。僕に任せてあなたたちは安心して待っているといいよ。抜かりはないさ。ふふ。楽しみだね、僕の『眠れる姫君』。いまの君は絶対の女神になるまえの、綺麗な蛹。だいじょうぶ。君が瞳を開けるまえに、僕が邪魔なやつをみんな片付けてあげる」
 その寒気がするほどに華麗な力をはやく見せて欲しいよ、とうっとりと瞳を閉じてフレイザーが硝子ケースに頬ずりをした、その時。
 離れた場所からの乾いた発砲音が、立て続けに響くようだ。
 はっ、と腰かけた椅子から立ち上がりかけた老人たちをゆったりとした黒い袖を翻して止め、まあ見ていて、とフレイザーは杖を手に、硝子ケースから離れた。
「レンだかなんだか知らないけれど……僕の邪魔をするやつは誰であろうと許さない。じっくりと、いたぶってあげるよ」
  

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