「あんたたちが収容されていたっていうラボとは、どこにある? それを、聞きたい」
 黯い魚は、尾鰭を優雅に揺らしながらゆったりと足を組んだ。ふたつの黒い瞳で、まっすぐに恋を見つめる。その瞳にはなんの感情も浮かべずに、魔術師はしばらく沈黙した。
 ひょい、と濡れたように光る黒い翼を広げて、カラスが背もたれに飛び上がる。
 そして、
「あれはずいぶんと話したようだな」
 やがて、女が口を開く。
 だがその声音も口調も、ひどく凍えたものに変わっていた。キアランではないと偽るのは無駄だと思ったのか。おそらくこれが、彼女の本来の姿だ。
「だが。くだらん問いだな、小僧。そんなことが知りたいだけならば、この場を教えた者にはじめから聞けば良かったろうに。違うか」
「……いや、違わない。だが、予定が狂った。あんたの居場所を教えてくれたやつは……おそらく既に居を移しているところだろう」
「は。狂うような予定などを立てるからだ」
 言い放たれて、恋は口を閉じた。
 
 他人を拒絶するくちびるから放たれる、冷たい闇を思わせる声。
 ただ物体を眺めるだけの、双眸。
 誰の愛も必要とせず、何者へも愛情を傾けない、黯い魚。
 冷酷な、闇の魔術師。
 
 だが、
「……いや、それは違う」
 恋は小さくつぶやくと、首を横に振った。そして、濃い青の瞳でまっすぐに漆黒の双眸を見つめ返して、
「これだけは言っておく。要らないと言われて捨てられても、それでもあんたのことはいまでも好きだ、とウタが言っていた。少しも憎んではいない、と」
 あんたにとても、会いたがっていた。
 そう言って、微笑む。
 すると、わずかに黒い瞳が揺れた。
 そんなふうに、見えたのだ。しかし、
「だから、手を貸せと? 甘いな」
 鋭く凍えた瞳の黯い魚は冷淡に嗤い、容赦なくはね付けて寄越した。
「少しも憎んではいない、か。たかが物に、それほど慕われるとは思いもしなかった。だが、それならばあれが捕らわれたのは好都合というもの。本来の力を見せつけてやる良い機会」
「な、に?」
 思わず、耳を疑った。
 一体、なにを言っているんだ。
 喉の奥で低く嗤う女は、しかし、母であるはず。
 それはとても優しくて、美しい人。
 その白い腕はやわらかくて、温かい。
 その、はずなのに。
「……たか、が? たかが物、だと? おまえ、母親だろう? ウタの、母親だろうっ!」
「は。ずいぶんとくだらないことを言うのだな。わたしはあれの母親などではなく、主だ。たとえ意思を持ち自由に行動できたとしても、あれは物だ。物は物でしかない。わたしが作った物をわたしがどう呼んでどう扱おうが、おまえには関わりのないこと。そうだろう」
「ふざけるなっ! あいつがどんな思いで暗いところに閉じ込められていたか、おまえは考えたことがないのか。ほんのひとときでも愛情を与えた自分の子どものことを、これっぽっちも思わなかったって言うのかよっ! 親の愛情を失ってしまった子どものことを……」
「ずいぶんと母親に理想を抱いているようだな。え、カワイイぼうや?」
 言葉の途中を遮られて言われた言葉に、カッ、と顔が熱くなる。怒りで瞳の奥までもがじわりと熱くなり、胸のどこかが抉られるかのように痛くなった。
「だがどうせ、おまえも捨てられたクチだろう。ああ、そうか。捨てられたもの同士で傷を舐め合ったか。それでおまえは、あれを物とは思えないわけか」
「なに」
「捨てたものに愛情など持つものか。自分の命を削ってまで、役に立たないものを持ち続ける馬鹿がどこにいる。わたしも、そしておまえの母親も、ほかに理由など持ってはいない。要らないから捨てた。それだけだ」
「それ、だけ……だと?」
「そうとも。だが、生み捨てられてもそれでも慕うというから、その思いに答えてやろうというのだ。このわたしを欺き火炙りにしようと追いまわす連中を、わたしが与えてやった力で皆殺しにする。そうして、あれはようやくわたしの役に立つことができるのだ。これ以上に嬉しいことはないだろうよ。これは、廃物利用(リサイクル)だ。おまえがどうこうと口を挟むことではない」
「…………廃物利用」
「は。作り上げてきた美しい思い出を粉々に砕かれて、どうしようもなく悔しいか? 生きる支えを失うというのは、一体どういう気持ちだろうな。世界が音を立てて崩れるかのようか? いや、違うな。世界はもうとうに瓦礫の山でしかない。ならば、優しい夢からようやく覚めて非情な現実を目の当たりにした、というところか」
 うつむくと、石の床にしずくが落ちる。
 恋は無言で、す、と左手を腰のうしろに伸ばした。ホルスターから銃を抜く。
 『デボラ』でも『ダレル』でもない、名のない銃だ。
 その銃口をまっすぐ、遠い『母』へと向けた。
  

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