ベッドを動かせ、と促されて、アートは言う通りに動く。
 ベッドをずらし壁側に人が入れるほどの隙間ができると、ガンスミスはベッドを乗り越えそこに身体を滑り込ませた。そして床板を外し、女を連れて来い、と指図。
 キャサリンを背負ったアートは、膝で進んだベッドの向こうに暗い穴がぽっかりと開いているさまを見て、呆れて肩をすくめた。
 先に行け、という短い言葉とともに放り投げて寄越された、小型の懐中電灯を口にくわえたアートは、まず気を失ったままのキャサリンを穴のなかに下ろす。それから自分もなかに下り、小さな灯りであたりを照らしてみた。
 入り口は狭いくせに縦幅も横幅も充分な広さのある地下の隠し通路は、その長さも予想以上で、懐中電灯の灯りの届かないずっと向こうにまで延びている。しかも途中でいくつかの道に枝分かれしているらしい。これなら追っ手がこの通路を見つけたとしても、そう簡単には捕まらないだろう。
「これ、どこまで延びてんの? まさか俺様、このままモグラになっちゃう? っていうかぁ、これおっさんが掘ったわけ? 暇だねぇ、あんた……」
「俺が掘るわけがない。ウダウダ言ってないで、さっさと退け」
 うしろ頭を軽く蹴られたアートが舌打ちしつつキャサリンを背負って、穴の真下から移動して振り返ると、いまはボブと名乗る顔見知りの男が隠し通路にひらりと身軽に下りてきた。そして通路の端に置いていた台をずらしてその上に乗り、手を伸ばしてベッドを動かしたあと、床板を元のように戻して通路の入り口に蓋をする。
「あのさぁ、俺様の銃、返してくんない?」
 ふたたび口にくわえた懐中電灯を器用に動かしてボブを照らしたアートは、灯りのなかの姿にうんざりとしつつ、もごもご言った。
 恋と同じ型の三十八口径の銃を、左肩に。それから右の腰にも一挺。小型のナイフ数本と弾を収納するベルトも二本、だらりと下げている。
「いまでもそれが標準装備なわけ? あいかわらずアブナイおじさんなんだねぇ」
 に、と同じく懐中電灯を口にくわえながら声を出さずに笑ったボブは、アートの腰のホルスターに銃を無言で戻してやると、そのままさっさと歩きはじめた。
「ちょぉっとぉ。どこに行くの〜?」
 しかし、その返事をもらえないまま歩き続けて、約二十分。何度この通路に置いていこうかと考えたキャサリンを背負い直して溜息をつくと、先を行くボブの姿が暗闇のなかを上がっていくのが見えた。懐中電灯でよく照らすと、階があるのがわかる。
「お。やぁっと終わりか」
 少し元気が出たアートが階を上がると、また鉄の扉が現れた。そこで鍵を手に待っていたボブに追いつくと、用心深く扉が開かれる。するり、とその隙間を抜けたボブに手招きされて、アートは溜息をつきながらも扉をくぐった。
 そこはなにかの店の跡らしかった。棚に並べられた丸みのある大きな硝子の瓶やらを見る限りでは、菓子やら雑貨やらを売っていた店の地下室のようだ。
 踏みしめるたびに軋む狭い階を上がりまた扉を開けると、荒れた内部が現れた。
 扉に鍵をかけ直したボブは、鉄板やら板切れなどでふさがれた窓の隙間から外のようすを素早く眺め、それからいかにも面倒そうな冷たい瞳でアートの背のキャサリンを見やる。
「さて。俺はこれ以上厄介事に関わるのはごめんなんだがな。おまえはどうしたい?」
「どうしたいって? あー。とりあえずキャサリンを下ろしたい」
 よいしょ、とアートはキャサリンを床に下ろし、首と肩をぐるぐるまわした。そして、じ、とこちらを見据えるボブに、苦笑する。
「あー、なんか恋もヤバそうだしなぁ。どうすっかなー。あいつと関わった女の子が今朝死体で見付かったって言うから、知らせてやる方がいいんだろうけど、でも、あいつの行き先知らないしなー。しかも、来るな、とか言われたしなー。んー。でもあんなこと言われちゃうと、俺様ったら余計に気になっちゃうんだよなー」
「誰が殺されたって?」
 ふと、ボブの声が常よりも低くなり、その変化に気付いたアートは軽く首を傾げた。
「ローズっていうなまえの可愛いダンサーだよ。キャサリンに聞いた。なんかヤバそうだったから、恋に言われた通りにあんたんとこに来たってわけだけど……しっかし、あんな可愛い女の子を虫けらみたいに殺すなんて、サイッテーなヤローがいるもんだぜ」
「…………そうだな」
「あ? どしたの、おっさん」
「いや。それで……おまえはどうする?」
「あー……ねえ、ホントに」
 深々と溜息を吐き、染みだらけの天井を見上げる。だが、懐中電灯に照らされた黒い染みはまるでシャドウの群れが蠢いているように見えて、あまり気分の良いものではなかった。だから、懐中電灯のスイッチを消して、真っ暗に塗りつぶしてしまう。
 そうして暗い天井を見上げていると、マンホールの下で寒さに震えながら膝を寄せ合って暮らしていた、痩せっぽちだった子どもころのことを思い出す。
 たぶん、あの暗い穴のなかにいたのがどちらかひとりだけだったなら、とうにこの町に巣食う闇に身も心も食い殺されていただろう。
 たぶん、まるく切り取られた灰色の空をただぼんやりと見上げながら、凍え死んだだろう。
「あのころのおまえは、ひょろひょろだった」
 不意に声を掛けられて、ボブも同様に暗い天井を見上げているのだと覚った。
「あいつってさ……なんでか、銃とナイフ以外はけっこう不器用だろ? しかも寂しがり屋で、泣き虫で。だからついつい、世話焼いちゃって。飯とか俺の分からも食わせてたしね」
「来るな、と言われたのが寂しいのか?」
 からかうように言われて、そりゃどうかな、とアートは肩をすくめる。
「でもまあ、あいつがシャドウに殺されかけた時は、すっげえ頭にきたっけ。シャドウは俺様が根絶やしにしてやる、ってマンホールからいきがって飛び出してさ。だってのに、はは。あとからシャドウブレイカーはじめたあいつの方が目玉の数多いし。あ〜あ……俺が面倒見てやらなきゃダメだったのになぁ」
「……愚痴か?」
「およ? グチってる? ん〜。って言うか、嫉妬? だってさ、あの顔であの銃の腕だろ。多少ぼやや〜んとしてても、女はほっとかないよな。羨ましいぜチクショーッ!」
「……一体どうしたいんだ、おまえは」
「ん〜、そうだなぁ。まず、あいつの貞操の危機にババーンと現れてやって、『やっぱりお兄様は頼りになるよ』って言わせるだろー。で、やっぱり悪の一味に捕らわれて泣きじゃくってるあいつのまえにジャジャーンと現れてやって、華麗な銃さばきで一味を一掃。そうすると、恋からそれを聞いた美人ちゃんたちから『アート様ステキ! わたしを好きにして』って、あっちこっちからお誘いが来る、と。お! なんかだんだん楽しくなってきたぞっ!」
「……ものすごい妄想だな」
「現実にしようかな〜、と思ってるんだけど」
「…………せいぜい恋に知られない程度に妄想していろ」
「おうよ。ってなわけで、俺様は恋を捜すぜ」
 呆れたように笑われて、アートはふたたび懐中電灯を点けてボブに向けた。一瞬眩しそうに細められたライトグリーンの瞳は、しかし以前と変わらず鋭いようすでこちらを見ている。
「悪いけどお師匠さん、キャサリンをどっか安全なところに連れて行ってやってくれよ」
 そう言うと、鼻で嗤われた。なんだよ、と眉を寄せるところに懐中電灯に照らし返されて、眩しさに瞳を閉じる。
「この物騒な町のなかをどうやって捜す」
 居場所を知らないのだろう、と灯り越しに言われて、アートは苦笑にくちびるを歪めた。
「だったら、女はここに置いていけ。ここに隠れていろ、と書き置きでもしておくんだな」
「へ? なんで?」
「ついて来い。恋の行き先は、知っている」
「っ! どこだよっ!」
「やつは、ゴーストガーデンだ」
  

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