※
中身は空の金庫ばかりの銀行まえにやってくると、恋は背後を確認する。きのう、食いかけの死骸を見つけたところだ。しかし、耳をすましても、シャドウの唸り声は聞こえない。
やはり律がいないとまとまらないのか。だが、朝だからというだけかも知れない。 そう思っているところへ、ぬ、と脇から黒いものが現れ、恋は無言で容赦ない銃口をその額のまんなかに押しつけた。 「おいおい撃つなよ! 俺様だってば」 「見ればわかる」 「だったら銃下ろせって!」 怒鳴るように言いながら両手を上げて降参するのは、黒いセーターに緑のマフラーを巻いたアートだ。さてどうしようか、と恋が軽く首を傾げてみせると、苦い顔をした。 ウタはこっそり、恋の背に隠れる。 「ほら! おまえ、きのうひっどい顔してたからよ。寝込んでるんじゃねえかな〜、と思って見舞いに来てやったんだよ。ああ、俺様ってば優しいっ!」 「縄張りあらし? だとしたら遠慮なく撃つぜ」 「違うって! 恋、撃つなよ、早まるなっ!」 「白状すれば? 見舞いに来た、とか言いつつ幽霊銀行(ゴーストバンク)でサボっている理由」 そのとき、見舞いってなに、と顔を覗かせ恋を見上げたウタを見て、アートが深々と溜息を吐いた。 「なんだよちょっとテリトリーに入ったくらいで怒るなよな。おまえもきのうは俺様のテリトリーに入り込んだだろ。それなのに、おまえは女をとっかえひっかえで、俺様のおでこのまんなかには物騒な銃。あー、やってらんねー」 ああ嫌だ、と顔を歪めたアートは脱力してそばにあった四角い石材に腰を下ろした。 石材の表面には文字が彫られていて、かろうじて『セントラルバンク』という部分だけが読める。 アートはその上から右手をひらひらと振り、銃を下ろせ、の合図。 「見舞いは誰かに、頼まれたんだろう」 とりあえず銃を持った腕を下ろしつつ訊ねると、アートは嫌そうにうなずいた。 「おまえ、きのう教会にシャドウに食われたやつを投げ込んで、慌てて出てったんだって?」 「ああ、アレ。それがなに?」 「きのうの目玉を換金しに行ったら、恋はどうした、って訊かれたんだよ」 「ひとりで祓った、って答えたんだろう?」 「おうよ。でもよ、おまえが血相変えて住処に戻るところは見られてた。銃声だって聞かれてる。そのあとで俺がおまえんとこ行ったのも、俺とおまえがおててつないでまた引き返したのも、見てやがった」 「そう言えば、教会で声を掛けられたような気がするな」 「まあ、おまえはうっかり野郎だから気付かなかったんだろうけどぉ。それで、俺様がひとりで換金しに行っちゃったもんだから、なんか隠しているとか思われちゃったわけ」 ぐい、とウタがコートを引っ張る。振り向くと、不安そうな銀の瞳が見上げていた。わずかにずれたフードを直してやるついでに、ぽん、と軽く頭を叩いてやると、ウタはまたおとなしく頭を引っ込める。 「そ〜れ〜で〜、ようすを見て来い、って教会のおっちゃんに言われたの〜。それがなんだよ、おまえは美人ちゃんと楽しいデートかよ。泣けてくるぜ、俺様は。ず〜る〜い〜っ」 足をばたつかせたアートのその言葉を聞いて、ようやく恋は苦笑しつつ『デボラ』をホルスターに戻した。 「それでいまからお姫様連れてどこ行くんだよ? 俺様も連れてけ」 「まだ見張りかよ?」 「ちっげーよ。気付かねぇか? なんかきのうのアレからシャドウが気配を消してやがるんだ。まあ、この俺様に恐れをなしてのことだろうがな! というわけで、俺様はヒマなのだ! だからそのお姫様とイイコトしに行くんなら、俺様も混ぜろ〜。混ぜてくれ〜」 なにソレ、と恋があきれると、 「教会と女。俺様はどっちを選ぶと思うよ?」 逆にあきれた顔でそう返される。それに迷わず、女だな、と答えると、 「だろ? それによ、いっくらなんでもガキのころから知ってるおまえを見張るなんて、さすがに気分悪いぜ。で? パーティー会場は?」 パーティー会場はどこだ? と立ち上がったアートの言葉に、それまで黙っていたウタがふたたび顔を出した。 「パーティーってなに? そこに行くの?」 それに苦笑した恋は、ゆっくり首を振る。 「悪いが、アート。秘密のデートだ」 「なんだよ。水くせぇな、恋」 「確かに、水は臭いわね。ねえ、知ってた? 恋の家のまえにある噴水の水、腐っているの」 「およ? なんか壊れてるのか? このお姫様」 「わたしのこと? わたしはどこも壊れていないわ」 「…………ウタ。黙ってろ」 「おい、恋。ヒトに言えないような趣味があるのはまあ、ガキのころから知ってるけどよ。命縮めるようなヤバイことだけはするなよ」 「人に言えない恋の趣味、ってなに?」 言い返そうとした恋のひと呼吸まえに、興味津々のウタが瞳を輝かせながらそう訊いた。すると満面の笑みでアートがウタの肩を引き寄せ、あのな、と耳にくちびるを近付ける。 「くだらないこと吹き込むなよ」 恋は大きく溜息をつくと、ぐい、とアートの耳を引っ張ってウタから引き剥がした。 「いででででっ! 取れる取れる取れる!」 「すごい! あなたの耳は取り外せるのね? どんな仕組みなのかしら、見てみたいわ」 「取れない取れない取れない!」 「ねえ、どっちなの?」 「アート。きのう教えたガンスミスに会ったか」 声を落として訊ねると、アートが赤くなった耳をさすりながら、まだ、と答える。 「だったら、教会がらみでヤバくなったらそこに逃げ込め。扉は頑丈な鉄製だけど、おまえなら名乗れば開けてくれる」 なんだよそれ、とふと顔を強張らせる幼馴染みの肩を叩き、じゃあな、とふたたびウタの手を引き歩き出すと、アートが慌てて恋のまえにまわり行く先を遮った。 「おい。ちょっと待て。おまえ、ホントにだいじょうぶか? ヤバイことじゃねえだろうな?」 「いまさら、なに? フロストロイドでヤバくない仕事なんてないだろう」 「そりゃあそうだがよ。恋。やっぱり俺も連れてけ」 珍しく真面目な顔のアートに、ふ、と恋は笑う。おまえらしくないね、と首を傾げると、顔を歪められた。 「手を貸してもらえるなら心強いけど、昔よく下手くそな子守唄を歌ってくれたお兄様を巻き込むのは、さすがに気分悪いから」 「んだよそれ」 「それに、そばにいられると困るんだよね。ほら。俺って機嫌悪いと誰彼かまわず、所かまわず襲っちゃうんだろう?」 「おまえこそ……らしくねえじゃねえか」 「そう? まあ、心配してくれるのは嬉しいけど、俺も死ぬつもりは全然ないから」 ほらこんなの持ってるし、と左腰のうしろにあるホルスターを叩くと、うわ、とアートが瞳をまるくする。 「すげえ殺傷力ありそう」 「安心だろ? でも……なあ、アート。五年前に俺を殺しそこなったでかいシャドウ。あれとおなじ形状のシャドウが出たら絶対に近付くなよ。そいつに襲われたその時は、引っ掻かれるまえに頭を狙って確実に仕留めろ。オーケー?」 「…………オーケー」 たっぷり間をおいてから深々と溜息をついたアートは、しぶしぶうなずく。そして、ちら、とウタを一瞥したあと、なにかを言い出しそうな口に無理やり、ポケットに押し込んでいた煙草を銜えてそれをごまかした。 |