ぎらり、と鋭い刃物の色に閃いて、銀の双眸はいまその場にないなにかを睨みすえる。
「キアランは教会に騙されていた。いいえ、キアランだけじゃない。みんな騙されたわ。この街の女神に。恋は、教会にも良い人間がいる、って言ったわ。でも、わたしはそんな人間を知らない」
 恋はそこに込められた怨嗟に、そっと眉を寄せた。
 普段ふわふわとしたウタのようすとはあまりにかけ離れていて、なぜか見ていて痛々しく思う。嫌悪、ではない。ただ、痛々しかったのだ。
「長いあいだいがみ合い蔑み合っていた軋轢を過去のものにしよう、この荒んだ町を救うためにはお互いの力が必要だ……そんな甘言を、教会の連中は平然と吐いたわ。信じない魔術師もいたけれど……いいえ、ほんとうには信じてなどいなかったのかも知れないけれど、それでも多くの魔術師とそれから鉄の塊を相手にする技師たちは、教会のもとに集まったわ。なにより、自分たちの夢や理想を、果てしない探究心を、野望を、そんなものを叶えるために、これまで散々自分たちを迫害してきた教会が場所と金とを用意するというのだから、利用しない手はない、と。教会の意図だって、見え透いたものだったから」
「教会の、意図……」
「教会はただ、この町のほとんどの人間が信じなくなった神の力を取り戻したかっただけ。なんの力も持たない張りぼてを飾りそれを拝むのでは、思うようにお金が集まらないから。魔術師や技師たちの手から生み出されたものを、神の力として見せつけ振り翳し、従わせてお金を搾り取ろうとしていただけ」
「だが、それならお互いさまなんじゃないのか」
 恋がそう言ってみせると、ふ、とピンク色のくちびるが震えた。
 過去を嘲笑うように。
「そうね。そうだったかも知れないわね。でも教会は、地下につくられたラボで『わたし』が生まれたとたんてのひらを返し、そこに集まっていた魔術師や技師たちまでもを捕らえたわ、異端として。口封じの意味もあったんでしょうね。教会が魔術の力を借りたなんて、女神が魔術の力を得るなんて事実、認めたくはなかったのね。結局、敵は、どこまでも敵だったのよ!」
 ガシャン、と床の上に茶褐色の液体と陶器の破片が散り、はっ、と手指を滑らせたウタが息を飲む。そして、震えながらしゃがみ込んだ。
 しかし恋は、破片を拾おうとする白い指を止めた。
 ちいさく、溜息をつく。
「……ごめんなさい」
 かわりに破片を拾いはじめる恋に、ピンクの花弁から覗く膝を抱えたウタが、声を震わせて弱々しく謝った。
 恋は丁寧に床を拭きそこに椅子を置くと、座れ、と背もたれを軽く叩きながらウタを促す。
 するとウタは、また泣きそうに顔を歪める。
 細い肩に手を当てて椅子に座らせるとまるで、精巧にできた綺麗な人形。
 陶器の肌に、金属の糸でできた髪。硝子の瞳。
 けれどそのピンクのくちびるは震えて、どうして、と涙の滲む声音で訊いてくる。
 潤んだ愛しいふたつの瞳が、縋るように見つめてくる。
「どうして、優しくしてくれるの?」
「なに。さっきは意地悪って言ったくせに」
「……だってわたしは、人間じゃないわ」
「そうらしいな」
 破片をごみ箱に片付け、恋は肩をすくめた。そしてふたたびびキッチンに背を預けて、それで? と話の続きを促す。
「キアラン・シンクレアは、逃げたのか」
「そうよ。キアランは教会なんてはじめから信用していなかったし、『歌』の完成とともに異端狩りが再開されることも予想していた。だから、異端狩りがはじまる直前に逃げたの。もうひとり、わたしの基をつくった技師と一緒に」
「キ?」
「魔力に反応して形状を変える金属の粒子が開発されて、それを基と呼んだらしいの。その基に、キアランが自分の身体の組織と魔力を注いでわたしを生み出したのよ。その基をつくった技師と、キアランが逃げたの。十年ほどまえかしら。地下のラボで捕らえられたあとの魔術師や技師たちがどうなったかは、知らないわ。でも……教会に捕らえられた異端がたどる道なんて、浄化とは名ばかりの残虐な炎のなかにしか続いていないわ」
「その技師のなまえは、恋・ローウェルじゃなかったか?」
 魔術師同様教会から追われている、いまはボブと名乗るガンスミスは確か、キアランを手伝った、と言っていた。彼が基をつくった技師である可能性は高い、と恋はそう思ったのだが、しかしウタは首をひねった。
「恋? ああ……恋になまえをくれた人ね? えっと、そういうなまえじゃなかったはずよ」
「なんだ、違うのか」
「ええ。だって、もしもそうだとしたら……おなじなまえのあなたが教会に捕まっちゃうわ。偽名を使っていた可能性はあるけれど」
「まあ、そうだな。変人だからな、あいつ」
「キアランも本名じゃないわ。ほんとうに、すっごく変な人だから」
 くす、とふたりで笑い合う。おまえにすごく変な人と言われるような相手に会うのは少し怖いな、と恋がからかうとウタは軽く睨んだ。
「じゃあおまえ……『黯い魚の歌』も十年まえにキアラン・シンクレアが逃亡する際に、地下のラボ? そこから持ち出されたのか?」
「そうよ。そのあとすぐに封印されたわ」
 ふふ、と力なく笑んだウタの銀の双眸は、ゆっくりと長い睫毛に隠される。
 寂しそうなその笑みに、幼いころの自分の感情が蘇るようだ。
 ごまかすように、恋は疑問を口にした。
「……なあ、封魔は魔道書『黯い魚の歌』に綴られた文字で、そこから抜け出してシャドウになったんだろう? だったらおまえのもとの姿って……やっぱり本、なのか?」
「わたし? それなら、この姿がわたしのもとの姿よ。ただ、魔力と自分の身体の情報を与えたキアランは、わたしの形状を思うままに変化させることができるの。封魔は、わたしを魔道書としての形状を安定させるためと、そして他者に簡単に使われることのないようにするための、わたしの力を抑える文字よ。キアランはわたしを、はじめからこの姿で教会の連中に晒す気はなかったの」
 だから教会は、『黯い魚の歌』が本来どのような姿をした力なのかを知らない。
 そう言ったウタの銀の髪が揺れ、花弁のようなワンピースの裾が揺れる。
 彼女が封魔と呼ぶシャドウとは似ても似つかない、姿。
 破壊の歌が込められた魔道書という魔術兵器でありながら、無防備で危うげなようす。
 キアラン・シンクレアが彼女をこの姿を隠そうとした理由も、なんとなくわかるような気がした。
 意思を持つ上に言葉まで操る魔術兵器だとわかったなら、それがこのように一見弱々しくも見える姿を持つものだとわかったなら、教会はあらゆる手練手管を使って『黯い魚の歌』そのものに取り入ろうとしたはずだから。
 不意に黙り込んだこちらに不安になったのか、ウタは頼りなげに大きな瞳を揺らして見上げてくる。
 恋は、ちいさく溜息をついた。
 
  

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