「おじさんの店は、ここから東に十五分のところよ。ブラックヒルには行ったことある?」
「アートの住処があるから何度か。でもシャドウブレイカーとしてはうろついたことはないな。縄張り荒らしは厳禁だから」
「レンの縄張りはミュージアムプラザ周辺だものね。でもそれじゃ、仕事でブラックヒルに行ったらアートに怒られるんじゃない?」
「祓いの仕事だったら、そうだろうな。でも、いまは別件」
「そうなの? 別のお仕事なの。ねえ……いつか……シャドウは、いなくなるかしら?」
「さあ、どうだろう。いると困るが、いなくなるとシャドウブレイカーはみんな、失職だな」
「そうしたら、どうするの?」
「そうだなぁ。その時は……ローズに占いでも習うか」
 笑いながら二人が暗い路地を曲がると、暇そうな男たちが口笛を吹いてよこす。しかしそれには目もくれないで通り抜け、横倒しの錆びた鉄柱に沿って鉄屑の山のほうへと向かった。
「あそこの五階が、わたしの住んでるところよ。おじさんの店はもう少し行ったところなの」
 鉄の山を過ぎると現れた細長いビルを指差したローズは、さらにその脇の路地を指差す。
 少しの衝撃で折れてしまいそうなビルを右に路地を曲がると、
「……っ」
 ぐい、と不意に息苦しくなった。
 内心で舌打ちしつつ、恋は振り向きざまに、カラスの羽根を掴んで虚ろに笑っている酔っ払いの額に、素早く抜いた『デボラ』の銃口を押し付ける。
 金、金、と繰り返しつぶやく男の口からは涎が落ち、恋はそれを、ちら、と見やって軽く溜め息をついた。なにかが混ざった得体の知れない酒でも飲んだらしい。
 右腕を下ろしつつ、
「その手を離したら、やるよ」
 と、ベルトに通した小物入れからコインを一枚とって見せながら言うと、男は急に笑顔になって小刻みにうなずきながら手を離した。
 指でコインを弾いてやると、ひろげた男の手のなかにうまく落ちる。
 しかし、それじゃあ、と背を向けようとしたその時、背後でガラスが叩き割られる音がした。
 恋は、こちらに向かって割れたビンを振り上げた男の腕を、今度こそ容赦なく撃った。そして、ぎゃっ、と悲鳴を上げて倒れ込んだ男に近付くと、その仰け反った喉に無言で銃口を押し当て、す、と瞳を細める。
「まだやるか」
 低い声音で短く問うと、助けて、と男は怯えた声を細く吐き出す。けれど瞳の焦点はあっておらず、ママ許してお願い、と言葉をつづけた。
 恋はふたたび溜息をつくと、腕から血を流しながらぶつぶつ言い続ける男をその場に残し、震えるローズの肩を押して路地を出る。
「ずいぶん危ないところに住んでるんだな」
「……今度、引越すことにするわ」
 フェイクファーの襟に細い顎を埋め、ローズは震え声で言った。
 それからしばらく歩いたところで、ようやく震えの治まったらしいローズは立ち止まり、左右を背の高い廃ビルに挟まれた地下につづく階(きざはし)を指差して、
「ここが、お店よ」
「看板もないじゃないか」
「そうなの。以前どこかに連れ込まれそうになったところを、おじさんに助けられて……このお店で休ませてもらったんだけど、それがなかったらお店だなんて気付かなかったわ」
 ローズのあとについて、入り込んだ者を冷たく圧迫するようなコンクリートの壁に挟まれながら薄暗い階を下りていくと、やがて頑丈な鉄の扉が現れた。
 ローズがそこを軽く叩き声をかける。一度目で返事がなかったのでつぎは強めに叩いた。
「ローズよ。おじさん、いないの?」
 なかで、わずかに人が動く気配。
「おじさん、きょうはお休みなの?」
 諦めずにローズが声をかけると、ようやくなかから声が返った。
「誰を連れてきた」
 神経質そうな男の声が用心深く訊き、それを聞いた恋は軽く瞳を細める。
 こちらが見えないはずの、頑丈な扉の向こう。
 そこにいる者は一体何者だ、と不審に思いつつも恋は、シャドウブレイカーだ、と答えた。
「シャドウブレイカーがなんの用だ」
「腕のいいガンスミスがいると聞き、ローズに案内を頼んだ。ほかに用があるとしたなら」
「……あるとしたなら?」
「少々教えてもらいたいことが、ある。魔術の、ことで」
 魔術、と聞いて、なかの男は押し黙る。
 恋は姿を見せない相手に向かって、軽く肩をすくめてみせた。
「シャドウブレイカーが教会の手先だと思っているのなら、それは勘違いだ」
 すると、なまえを言え、と低い声音が唸る。
「なんだ。ほんとうに恥ずかしがり屋だな」
 ローズに向かって苦笑し、そして名乗ると、男はなぜか軽く息を飲むらしい。もしかして、以前に痛い思いでもさせただろうか、と恋が不思議に思って首を傾げていると、
「……入れ」
 あっけなく、鉄の扉は開いた。
 しかし同時に、男の気配が消える。
 先になかに入ろうとしたローズの腕を引いて下がらせ、腰の『デボラ』に触れながら相手の気配を探しつつなかに入ると、不意に右側のこめかみに冷えた銃口を押し付けられた。
 恋は鋭く舌打ちをして、瞳だけを動かし、扉のすぐ脇の暗がりで完全に気配を消していた男を睨み付ける。
 予想よりも背の高い相手が、撃鉄を起こした銃を突きつけたままでゆっくりと薄明かりのなかに歩み出た。そして恋の背後で凍りつくローズに視線をやり、低く太い声で無愛想に、
「いらっしゃい、お嬢ちゃん」
「……なんの真似だ」
 動きを封じられた恋が全身から力を抜いて不機嫌に訊くと、得体の知れないガンスミスから低い笑みがこぼれた。
「お嬢ちゃんは、なかの椅子に座って待っているといい。シャドウブレイカーの若造の方は、ちょっと奥に来てもらおうか」
 来てもらおうか、と言うと同時に首の根を遠慮なく掴まれた恋は、銃口を押し当てられたままで踵を蹴られて歩かされる。忌々しい、と吐き捨てるが、相手には見事なほどに隙がなく銃を抜くことができない。されるがままに、闇に包まれたカウンターの奥にある扉の向こう側へと連れ込まれてしまった。
「なに。可愛い女の子よりも、銃を持った男の方が好きだとか? だとしたら、悪趣味」
 鼻で嗤うと硬いなにかに座らされる。背もたれがあるから椅子だとわかった。そして小さな音がしてオレンジの光が点灯し、その眩しさに瞳を細めていると、間近に顔を寄せられた。
「悪趣味で結構だ」
 冷たく嗤う男はすぐに恋から離れ、銃口を向けたままで安物のベッドの端に腰をかける。
 嘲笑うライトグリーンの瞳を睨んだ恋は、しかし、ふと瞳をまるくした。
 どこかで見たことのある、瞳の色。
 どこかで聞いたことのある、低い声。
 どこか。暗くて狭い、どこかで……
 そして、はっ、と息を飲んだ恋は、
「あんた!」
  

<< 11 >>

inserted by FC2 system