笑いながらケイが上半身を起こして座ると、頭上から赤やら青の花弁を、降りかけられた。
 振り返ると、緑の大きな翼が同じ色の枝葉の天井に隠れるところだった。楽しげに笑うように、嘴(くちばし)でカチカチと音を立てる。
 よく見ると、すぐそばの木の幹から大きな目玉がいくつか覗いている。
 水飛沫を掛けられて泉に顔を向けると、影がからかうように水に溶けた。
 それは、ケイにとってはうれしい変化だった。
 特殊であること自分を嫌い、彼らが姿を見せなかったわけではない、とわかったのだから。
 ふと、足もとに少々潤んでしまった瞳を向けると、綺麗な青色の衣装がきちんとたたんでおいてあるのに気付いた。着ろ、ということなのだろう。
 広げてみると、立ち襟に、百合の花のように先が広がり指先までを覆う袖の、銀糸で細かな花模様の刺繍で縁取りされた上着。さらに、水色無地のリューが着ているものと同じ筒状のもの、それと同素材でリューのものより裾が長く、股上は浅いがやんわりと足の甲までを覆うズボン。その、みっつだった。
 当然、魔王であるリューよりも地味ではあるが、どれも素材はやわらかくて上質なものだ。
 着てみると、大きさはぴったり。
 革の靴も、履き心地の良いものだ。
 ただ、魔族は、腹を見せるのがお洒落の最先端、と考えているのかいないのか、それは腹の隠れない意匠で、ケイは少々困った。
 衣装のほかにも、銀の刺繍と小さな鈴が飾る、さまざまな大きさの青色の薄布が数枚用意されているのだが、それをまえに、うーん、と唸る。
 この布を腰に巻いて腹を隠したら、せっかく衣装を用意してくれた魔族たちに悪いだろうか。でもそれが許されたとして、そうすると頭から被る大きな布がなくなってしまう。
 すると、はーい、と小さな手が挙がった。
「ケイ。なんか、お困りか〜?」
 ふんわりとした乳色の頬に両手を当てて、リューが首を傾げてみせる。
 しかし、リューはケイが答えるよりも先に、てくてく泉に近付き、ざ、と両手で水草を掬った。そしてそのまま手のなかの水ごと水草を口に入れ、もぐもぐ咀嚼(そしゃく)する。
 どうしたの、と声を掛けると、リューはもぐもぐしたまま、ぐりん、と振り返って、
「でへ〜っ」
 でろ〜ん、と涎(よだれ)らしきものが笑った口から、盛大に垂れた。ひい、と思わず頬を引きつらせ後退りをしたケイに、その透明な液体を手に受けて、リューが迫る。
 次の瞬間、
「ぎゃー」
 顔にべっちょり塗りたくられてしまった。
「ぎゃー、ちがう」
 抵抗しようにも、なぜか身体が羽交い絞めにされたように、動かない。と、言うより、背後でくすくす笑いがするのだ。魔王の僕(しもべ)がお手伝いでもして、実際に羽交い絞めにしてくれているのだろう。
「つぎ、手!」
 ひょい、とリューの声に従い、勝手に手が動く。もう、ただびっくりするしかない。
「……魔王様印の水草成分の入った人の子の身体に優しい安心安全超強力日除け液」
 ぼそり、と腰のうしろ辺りで、低い声音が一息で言った。もちろん、リューではない。
「わー。誰かなんか言ったーっ。って言うか日除け液なのー? ただの涎だと思ったー」
 びっくりしすぎて、ケイは泣きそうになった。
「ホントに日除け液? 魔王様印って、ねー」
 腰のうしろを振り返ると、毛むくじゃらの小さい魔族がしがみ付いている。
 黒くつぶらな瞳がこちらを見て、強力、と頷き保証した。
 声はとても低いが、毛むくじゃらの魔族はまるで灰色のうさぎのようで、かわいい。
 右肩を掴むのは、蜂鳥ように必死に黒い翼を動かし空中で静止する、人の手のかたちの足をもった鳩ほどの大きさの、長細くて綺麗な青い竜。左には足の長い半透明の狼が、ふさふさで長い鬣(たてがみ)をケイに巻き付けて、足をつっぱり我慢していた。
 魔族たちの必死なさまがかわいくて笑ってしまったケイは、身体の力を抜いて、くすぐったいリューの手を我慢することにした。
 ケイの腹に日除け液を塗りおわり、む、と満足そうにリューは腰に両手を当ててうなずく。
 すると、ケイの身体が自由になった。
 振り向いてみるが、もう押さえ込み係は姿を消している。なんとも素早いものだ。
「これで、安心!」
「う、うん。ありがとう」
 おそるおそる日除け液を塗られた肌に触れてみるが、予想に反してべとつかずにさらりとしていて、何も塗っていない素肌のようだった。作り方が衝撃的なだけに、それはもう涙が出るほど感動的な出来だ。
 魔王様印すごい、と絶賛すると、リューは得意気に胸を反らした。
 そして、ケイが花模様の刺繍美しい薄布を手に持ち、それを頭に巻こうとすると、リューは手を伸ばして、長い銀髪の少量を残したほとんどを持ち上げてくれる。
「ありがと。……ん?」
 人の手のかたちの足を持った青い竜が、今度は同じ種の仲間を七匹連れてきて、リューの手から少しずつ髪を譲り受けた。そしていっせいに、翼だけではなく髪を掴んだ器用な足も、すさまじい勢いで動かしはじめる。
 ぶーん、と彼らが立てる音にケイは瞳をまんまるにし、あっという間にできた八本の細かい三つ編みに、ぽかんと口を開けた。
 呆気にとられるうちにリューに薄布を取り上げられ、三つ編みを持った竜たちとで、引っ張ったり巻いたり、と色々と髪をいじられる。
 結局、ケイは自分の頭がどうなっているのかわからないまま、泉のまえに座らされた。
 身を乗り出して水鏡に自分の姿を映す。そして、
「う……わあ」
 ケイは薄紅色の大きな瞳を、輝かせた。
 左右に二本ずつが輪にされている三つ編みと、前髪を含む少量の髪とが、頭に巻かれた青い薄布の下に。残り四本のうち二本の三つ編みは、左右の瞳と耳との間あたりで布の上から垂らされ、最後の二本は布を飾るように、ゆるく布に掛かった輪にして留められていた。
 それ以外の髪はすべて布から上に出され、陽に煌きながら勢い良く落ちる滝のように、流されている。
 さらに三つ編みには、ケイの瞳と同じ色の水晶や瑠璃やらの小さな玉が通されて、銀の髪を彩っていた。
「すごーい。綺麗。なんか、器用さ炸裂! って感じだよ、これ! ねえ、リュー。すっごい」
「ふふん。これならば相当の阿呆以外、おいそれと手出しはできまい」
「え? なに?」
 にこにこしながら振り返ると、リューはゆるく首を左右に振る。
 それでもケイが首を傾げると、黙って自分の髪を一本引き抜いた。
 くるんと巻いた髪の毛の両端を、両手の指でつまんで針金のように伸ばす。そしてそれに、ふっ、と息を吹きかけた。
 すると、上等の紅玉から紡いだような赤い糸の上を、金の光が、さっ、と走る。
「ケイの肌、金属に弱いか」
 上目づかいに訊ねられて、弱い、とうなずくと、
「んじゃ、このまま指にぐるぐる〜、して」
 と金が踊る髪の毛を手渡される。
「え? オレの指に巻くの?」
「そそ。巻き巻きすると、ご利益あるよー」
「ご利益」
 素敵。でも、魔王様のご利益ってなんだろう。
 雄だか雌だかの性がひとつもらえると、嬉しいのだけど。
 赤だか金だかの色もひとつもらえると、また嬉しいのだけど。


 

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