この子にケイと通じる言葉を教えた者が、偉そうだったのだろうか。だが、
「エライのだ」
 子供はさらに胸を張り、得意げに言った。いまにも、えっへん、とつけそうな言い方で。
「そ、そうか。ええっと、オレのなまえはね。ケイだよ。ケ、イ。で、訊いても良いかな?」
「む。どぉんと訊けぃ!」
「じゃあ、まず、きみのなまえは?」
「リューなのだ。リュシーダサンイ!」
「ふうん。変わったなまえだね」
 言った途端、リュシーダサンイと名乗った、金が混じった赤い髪と赤い瞳の子どもは、乳色のやわらかそうな頬を、ぷうっ、と膨らませた。
「変わってないもん!」
 それを聞いて、笑みが込み上げる。やっぱり子どもだ。ちょっと安心する。
「女の子、だよね?」
 ケイが首を傾げると、まるで鏡のように、リューもおなじ方向に首を傾げた。そして、そのままの格好で、
「あんね、ネ。リュー、どっちもやの」
 また言葉を幼くして、そう言った。
「どっちも?」
「んとねー。おすめすをぐにゅー、やの」
「……もしかして具有? 雄と雌を?」
「む。両性類」
「……たぶん、この場合、類、はいらないと思う。それとも、水陸両方に住めるのかな?」
「空にもすめるー」
「え。そうなの」
「ものもあるー」
「……う、うん。そうだね」
 リュシーダサンイはたいそう可愛らしいのだが、なんだか疲れる。耳を引っ掴まれて、頭をぐるんぐるん振られているようだ。
 いや、実際小さな手はいつのまにかケイの両耳を、がしっ、と掴んでいた。
 かろうじて振り回されてはいないのだが、ぴかぴかの目玉に間近から見据えられると、頭のなかをかき回され、記憶の襞(ひだ)を読まれ、心の内を引き摺り出されるような気がする。
「動揺しないね。きみが特殊だから?」
 不意に滑らかな口調で、リュシーダサンイが言った。
 澄んだ声音に流れるような抑揚がついて幼さが薄れ、これまでたどたどしかった言葉は、聞き取りやすいものへと変わる。偉そうな感じでもない。しかし、
「……特殊とか、言わないでもらえる?」
 かあっ、と掴まれたままの耳が熱くなった。
「気に障ったんなら謝るよ。でも事実だよ」
 きみが特殊であることは、事実。
 そう言い切られては、苦笑するしかない。
 初対面の相手すら、こうもお見通しなのだ。
 お前は違うモノだよ、と言われることにはほんの少し慣れたと思っていたけれど、こうしてきっぱり言われると、やはりつらい。
 耳から手を離したリューはかわりに、獣の爪の形をした紅玉を下げる金の鎖を右手で弄びながら、子どもらしい邪気のない好奇心をおびた瞳を、力なく笑むケイに向ける。そして、ふふ、と妙に赤いくちびるから微笑をこぼし、細い肩を竦めてみせた。
「きみは自分が怖いんだ。そうだよね。で、未来も怖い。好きで『完璧なる無属性体』なんてものに生まれたわけじゃないのに。好きでなにも持たずに生まれたわけじゃないのに」
 そう緑のなかで歌うように言われた言葉に、ケイは思わず自分の口に手を当てた。自分が発した言葉ではないのか、と思わず疑うほどに、自分の胸の奥にあることを、自分と同一の口調で、リュシーダサンイは言ったのだ。
 姿はまったく違う。けれど、自分自身と話しているような気分で、嫌だった。
「こんな自分は嫌い。自分じゃない誰かに変わりたい。でも死にたくはない。ほかの誰かじゃなく、自分自身が決めた未来を生きたい」
 ケイの薄紅色の瞳はまだ、キラキラ光る瞳から逃れられない。
 見れば見るほど、その双眸に魅せられる。
 まるで、視線を捕らえ心を絡め取る魔力を持っているようだ。
 薔薇や桜桃(さくらんぼ)のような、鮮やかな赤。
 上等の紅玉のように、綺麗な赤。
 そのなかに不思議に巡り、放射状に広がっては渦を描く、金の光。
 このまま赤い世界に身体ごと、飛び込んでしまいたい。
 そうすれば、自分は別のなにかに変わるだろう。
 なんの不安も、怖れもない、なにかに。
 そして、自由になる。
 ふと、そんな風に思った。なぜだかは知れない。けれど、確かにそう思った。
 しかし、
 だーめ、と赤の世界は伏せられた。
 え、と視線の磁力から解放されたケイは瞠目(どうもく)し、リュシーダサンイと名乗った子どもの姿をしたなにかを見下ろす。
 ふたたび瞳を上げたリューの小さなくちびるが、不敵な笑みに吊り上がった。
「食べて欲しい、って望むなら、いつでも食べてあげるよ。オレもお腹空いてるからね。でも、いまは食べてあげない。なぜならオレは、きみの心を知っている。だってオレたちは人の心を映す鏡だからね」
「オレ……たち?」
 不思議な瞳から瞳を離して、周囲を見る。
 なるほど、リューが来るまではただ美しく静謐(せいひつ)であっただけの森に、いまはさまざまな影と気配が現れて、こちらを窺っていた。
 いまはなぜか、彼らがすぐそばにあることが、わかる。
 人ではない、彼らが。
 そう、
 
 リュシーダサンイは、魔族だ。
 
 
 
 
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