「ぎゃっ」
 ケイは、地面から飛び上がってしまうくらい驚く。けれど、ぐしゃり、という音のかわりに、大輪の花のように魔王の足ものから不思議な赤と金の光が広がったのを見て、慌てて両手で自分の口を押さえた。
「あ。聞き忘れたぞ」
「弟子の名は、ルーサー・エゼルレッド!」
 光のなかで、あははー、と笑ったリューにオルブライト老が慌てて言う。そのあと彼の声はぷつりと途絶え、そして、
「これより、統治者リュシーダサンイの名のもとに、トバイアス・オルブライトならびにルーサー・エゼルレッドをこのマラシトの地に召喚する。どーんと、飛んでこ〜いっ!」
 ぐぐっ、と薄い胸に引き寄せた両手を、飛んでこ〜い、と魔王は大きく開いた。
「ええっ、飛んでこ〜いっ、なのぉっ?」
 すっとんきょうな声を上げるケイの目のまえで、一瞬、宙に渦を巻いた赤と金の光が、つぎの瞬間花火のように派手に弾ける。

 ひゅひゅひゅひゅん。

 火花はいくつもの螺旋を描き、弧を描いて四方八方に飛散する。
「うおひゃあぁっ!」
 頭上を掠めたひと筋の光に驚き変な悲鳴を上げたケイは、慌てて頭を抱え地面に伏せた。
 どくどくどくどく、と口から飛び出るのではないかと思うほど、早鐘のように心臓がうるさく鳴っている。けれど、こういう経験も悪くはないかなぁ、と思う自分が頭の片隅にはいて、ほんとうに自分という人間はなんて暢気なんだろう、と腹のあたりからくすくす笑いが込み上げてきた。
 伏せたままでくすくす笑っていると、そのうちにふと、ちりんちりん、となにかが小さく音を立てるのを聞く。
 そっと片目を開けて見ると、リューの瞳と同じ色の氷の破片のようなものが、青い空からいくつもいくつも降ってきていた。
「リュー?」
 無事なの、と慌てて顔を上げて、リューの姿を探す。
 まさかとは思うけれど、あの大きくてまあるい目玉がいまの衝撃で割れてしまっていたらどうしよう、と思ってしまったのだ。
 一番大好きな宝物なのに。
 だが、
 太陽の光を受けて輝きながら降る破片のなかに、偉そうに両手を腰に当て胸を反らして、魔王は立っていた。
 もちろん、ぴかぴかの目玉も無事だ。
 無事な姿を確認し、当然といえば当然か、と胸を撫で下ろしたケイだったが、しかし、リューに対して無事とは言えないようすで、魔王さまの御前に倒れこんでいるミリードの魔法使いふたりに気付き、そっと眉をよせた。
 オルブライト老は白くて長い自慢の髭を細かく震わせて白目を剥き、これはちょっとでも蹴ったら死ぬなぁ、と思わせるほどだったし、寝癖がついた若いほうは、青いんだか白いんだか、とにかく悪い顔色のままやわらかい草の上を這っていき、海に向かってゲエゲエやっている。
「快適……だったんじゃ、なかったの」
 座り込んだケイは、得意満面で魔法使いたちを見下ろしているリューに訊いた。
「あれれ〜。なんでカナ〜」
 魔王はわざとらしく首を傾げてみせる。
「爺さん……死にかけてるんです、けど」
「だいっじょーぶ! リューね。死なない程度にやった。すごかろー?」
「う、うん。すごい、ね」
 何がすごい、とまでは怖くて言えない。
「ねえ……オマケ付き……って、なに」
 オルブライトのすぐそばに屈み、ちら、とその顔を覗き込んだケイが、おそるおそるリューをまた仰いで訊ねると、
「ひげろげろが、ほんのちょっぴりの時間だけこのマラシトにいる眷族たちに影響を及ぼさないよーに、したのだ」
 まともなオマケに安心したケイは、げろげろ状態のエゼルレッドと、ひげろげろ、とひとまとめにされている髭のオルブライトの顔に、自分の青い上着の長い裾を揺らし、ゆっくりと風を送ってやった。
「でもね、リュー。オレ言ったよ? 人の子はひ弱だから気を付けてね、って」
「あー」
「この人死んじゃったら、オレ悲しいと思う。そこのゲロ吐いてる兄ちゃんもね、おもしろい人だから。ね?」
 そのケイの言葉に、エゼルレッドが宮廷に仕える魔法使いにのみ与えられる法服の裾で、ぐいぐい口元を拭きながら振り返る。吐いたお陰で少し顔色が良くなったようだ。
 しょーがないなー、とリューが溜息をつき、小さな手を皺が深く刻まれたオルブライトの額に当てる。
「トバイアス・オルブライト。起き……? ありゃ?」
 リューが首を傾げると、見下ろした目蓋がぴくりと動き、そしてゆっくりと持ち上がって、澄んだ灰色の瞳が現れた。
 それが、つい、とケイの白い顔を見て、髭が優しく動く。微笑したのだ。
「ごめんね。爺さん」
 胸の奥が熱くなって、謝らずにはいられなかった。
 しかし、オルブライトは首を横に振り、よっこいしょ、と案外しっかりとしたようすで上半身を起こして座る。
「ケイ。ジジイ、もう元気やよ。しぶといジジーイ」
 リューの言葉に、え、とケイが薄紅色の瞳を丸くすると、血管の浮き出た皺のある手が伸びて、よしよし、とでも言うように頭を撫でてきた。
 四つん這いでそばに寄ってきたエゼルレッドが、晴れた日の空のような瞳で笑いかけ、三つ編みと青い布に飾られた、滝のように流れるケイの銀色の髪を、眩しそうに瞳を細めて見る。
「ホントだ、カッコイイ頭っスね〜」
 かあっ、と顔が熱くなったケイは、自分の耳までがきっと赤いのだろうな、と思った。
「リューたちがね、やってくれたんだ」
「リューちゃん」
「はーい」
 元気良く手を上げた小さな子どもの姿の魔族に、青い瞳がくぎづけになる。
「うわぉ。かっわいい女の子っスね〜」
「ルーサー。その子は魔族じゃよ。わしらをここに移動させてくれた」
「え。ってことは」
「両性るーい!」
「いや、類、はいらないと思う……っていうか、へぇぇ。すっごい! はじめて見たっスよ、オレ。うぉー、綺麗っスね〜っ、魔族!」
 はじめて見る魔族に感動する弟子に、孫でも見るような温かい瞳を向けていたオルブライトが、ふと、ますます得意気なリューを見つめた。
 気付いたリューが、に、とくちびるを笑ませる。
 金の鎖が揺れ、真紅の爪が光った。
 不意に風がやみ、木々が沈黙する。
 え、とエゼルレッドがつぶやいて、リュシーダサンイの不思議な瞳を見つめた。
 ケイは軽く、息を飲む。
 なにかの色か、なにかの質量なのか。
 ケイにはわからないなにかを量るように、灰色の深い瞳がゆっくりと瞬いた。
 
 


 

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