「『鏡の封印』なんてものにはなりたくない。それなら、ケイはどうする? どうしたいの?」
 どうしようもなく、涙が溢れては流れ、こちらのくちびるを塞いでいるちいさな手を濡らしていく。
 くちびるが震えて、胸が叫んだ。

 どうして愛せないの。
 どうして認めてくれないの。

「リューとケイは、友だちだよね」
 こくん、とケイはうなずく。
「ケイは、リューのこと、好きだよね」
 また、うなずいた。
「リューも、ケイのこと、大好き」
 涙に、顔が歪む。
「ケイがリューをなんだろうと好きでいてくれるように、リューはケイがなんだろうと好き」
 リューは魔族。
 リュシーダサンイは、魔王。
 魔族の王たるリュシーダサンイの力は強大。
 その力を得るため、多くの仲間を食ってきた。
 それはいまの、優しいリューをつくっている、たいせつな要素。
 ケイは人の子。
 ケイ・イーリィは、属性を持たない人の子。
 それがなければ、『鏡の封印』になんてならずに済む。でも。
 けれど、そうでなかったなら……
 そうでなかったなら。
 きっと、普通に両親の元で育って、いまごろ学校に行っているかなんらかの仕事をしているか。
 この世界に魔王がいるなんて、気付きもしなかっただろう。知識としてその事実を知っていたとしても、ただ、それだけだったろう。
 『完璧なる無属性体』などと呼ばれるものだったからこそ、宮廷魔導師であるすごい人をひげ爺さん呼ばわりできて、美しくて強い魔王を友だちだなんて言える。
「……オレ」
 涙とともに、胸のなかに渦巻いていたものが、ほろほろと解れて流れていくようだった。
「オレの、色、も。オレの身体、も」

 いまの自分をつくる、たいせつな要素。
 これからの自分を支えていくのだろう、たいせつな要素のひとつ。

 うん、とリューが強くうなずき、手を離した。
「ケイは、どうしたい?」
 重ねて、訊ねられる。
 ケイは、ぐい、と銀の刺繍が美しい青の袖で涙を拭い、まっすぐに魔王を見つめた。
「いろんなものが、見たい」
 まだ、自分はほんの少しのものしか見ていないから。だから、
「世界中を旅して、綺麗なもの、汚いもの、全部を見たい。それに、その全部を見ても自分を汚してしまわないくらい、強くなりたい。自分のこと、自分の身体、好きになって……リューみたいに、強くなりたい」
「うん」
 魔王は、うなずいてくれる。
 しっかりと手を握っていてくれる。
 たいせつな、友だち。
「オレは、自分の身体のこと、認めようと思う。ちょっと目立つお陰で、リューと会えた。ちょっとお日さまに弱いから、リューがおもしろいことしてくれた。こんな、綺麗な服を着て、こんな、器用さ炸裂な髪型をして。こんな、素敵な友だちがいる。ね。オレ。すんごいよね」
「うん。すんごいよ、ケイ」
「オレは、『鏡の封印』にはなりたくない。世界中をさすらう粋でいなせな旅人になる!」
「おー。風来坊で暴れん坊」

 ぱちぱちぱちぱち。

 生まれて初めての友だちは、盛大な拍手を贈ってくれる。
 言ってることはちょっと理解できないけど、世界一心強い味方だ。
 そのリュシーダサンイが、恒星よりも眩(まばゆ)く美しい瞳で、すい、と先ほどから沈黙している魔法の鳥を流し見る。そして、
「いかに老いたとて、その耳はしかと聞いたろう。トバイアス・オルブライト」
 返事は、なかった。
「おーい。トバちゃん、くたばったのかぁ? びっくりしちゃって、死んじゃった?」
 ごんごんごんごん、リューは陶器の鳥の頭を遠慮なくこぶしで叩きはじめる。すると、
「あー、これこれ。叩いてはいかん。叩いてはいかんぞ。壊れてしまうじゃろうが」
「んならなんとか言え」
「……そう簡単には、返事をし兼ねるのじゃ」
「まーだそんなことゆー。あんなちっこい国、さっさとほかにくれてやればー? どうぞ、って」
「ちっこい言うな」
「ちっこかろー」
「ちっこくない」
 まるで子どもの喧嘩。これが魔王とミリード一の魔導師の会話だというのだから、なんだかすごい。
「と、とにかく。すぐにそちらに向かおう」
「えー。なにしにー?」
「オレ、帰りたくないんだけど」
「わかっておるわい。だが、きちんと話すには、おまえさんの顔をじかに見んと」
「どうやってー?」
「船で……」
「どんぶらこ第二弾が食らいたいみたい?」
 ケイはくすくす笑って、そう言ったリューと顔を見合わせた。
「食らわせるな」
 えー、とふたりして言う。
「えー、じゃなぁいっ!」
 ちぇー、とくちびるを尖らせたリューは、ちょこん、とかわいく首を傾げると、姿には似合わない、艶(あで)やかな笑みをそのままくちびるに乗せた。そして、
「トバイアス・オルブライト。そこに紅玉を砕いたものと金の粉があるか」
 不意に、そう訊ねる。
「なにするの、リュー」
「びゅーん、する」
 ふうん、とそう言いつつもケイが首を傾げると、老魔導師の強張った声音が言った。
「びゅーん?」
「あるか、ないか。どっちだ」
「……あるにはあるが」
「んじゃそのへんに、おまえらの物体移動の魔法陣を、紅玉と金の粉で描け。すみやかに」
「そんな……もったいない」
 思わず、本音が出る老魔導師。それに、
「ケチくさいな。だが、オレは気が短いのだ」
 船などに乗ったおまえたちを何日も待つつもりはない、ときっぱりと言い切る魔王。
 オルブライトは困っているらしかった。
「びゅーん、というのはつまり。わしをマラシトに移動させる、ということかね?」
「しかも超光速で快適な旅。オマケ付き」
「……わしだけ?」
「む。まさか、レイラちゃんとやらまで連れていきたい、とでも言うのではなかろうな」
「いやいやレイラちゃんはお腹に子どもがいるよって、超光速の旅はムリじゃのう。わしの、不肖の弟子なのじゃが。マラシト見学にどうかと思っての」
 ふうん、と瞳を据わらせ呆れたリューは、ぽかんとしているケイに顔を向け、
「このジジイちゃっかりしてるねー」
「ほんとにねー」
 そしてふたたび、リューは魔法の鳥に顔を向けて、
「って、赤子つくっちゃったのかいっ!」
 もしかするとはじめてかも知れない、魔王さまのつっこみ、炸裂。
 ほっほっほっ、という老魔導師の笑(え)み声に、ジジイめ侮れん、とつぶやくリューの乳色の頬が引きつった。
 それを眺めつつ、ケイはぼんやり思う。
 リューと爺さん、案外仲良しになりそう。海を眺めながら、三人してお茶飲んだりして。
 あー。でもここ、お茶ってあるのかなぁ。
「まあ良い。む。描けたか。忘れ物はないな。んじゃ、飛ばしまーす」
 飛ばしまーす、と軽い調子で言ったわりに、がし、と激しく魔法の鳥を鷲掴みにした魔王は、そのままそれを地面に叩き付け、さらにものすごい速さと威力を持った小さな足で、一気に陶器の破片を踏み付けた。
 


 

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