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いらいらいらいらしながら、リュシーダサンイは小さな足で地面を踏み鳴らしている。ケイがほかの者、特に人間と話すのが気に入らないらしいのだ。
ミリードの宮廷魔導師の魔法の鳥は、ぎくしゃくとケイの肩に止まっていた。
「なんで邪魔すんのぉ? なんでぇ?」
可愛らしく頬を膨らませたリューは、踏み潰してやりたくてしかたのない邪魔者を、むう、と睨む。わずかでもケイが魔法の鳥に対して、嫌だ、というような態度をとろうものなら、ぐしゃり、と容赦なくやってしまいそうだ。
「リュ、リュー。ちょぉっと待っててねー」
よしよし、と頭を撫でてやると、ガキ扱いするなよ、とでも言うように睨まれる。
かなり、機嫌が悪い。
陶器で出来たような鳥の嘴が、ガコ、と開いて、聞き慣れた声が聞こえた。
「ケイ。ケイか? ケイ・イーリィだな? おまえさん、無事か? どこも怪我をしとらんか?」
まっさきに自分を心配する声に、ケイはふと苦笑を浮かべる。
すなおに嬉しいと思っても良いのか、わからなかったのだ。
けれど、それは魔王の苛立ちをほんの少し和らげたらしく、リューはぴかぴかの瞳で、じ、と鳥に顔を近付けて見据えた。
「うお。えらい綺麗な子じゃのう。ケイよ。おまえさんの友だちか?」
かくかくかく、と嘴は玩具のように動く。
「オレはリュシーダサンイだ。おまえは誰だ」
おもいきり間近で、リューは偉そうに言った。
「あ。あのね。これは……って言うか、この鳥を通して話してる人はね、爺さんでー」
「オレはこいつに訊いている」
「あー。ごめん、なさい」
「こちらは名乗ったぞ、魔法使い。おまえが名乗らないのなら、この小汚い鳥は握り潰す」
ぐい、と赤い色の塗られた鳥の喉を掴み、抑揚のない声音でリューは迫る。すると、
「ほう。その言いようからすると、おまえさんは、魔族かね」
とのんびりとした声音が返った。
「それがどうした」
「いやいや、どうもせんよ。わしはミリードの魔導師トバイアス・オルブライトじゃ」
「あ、そ」
自分から聞いたくせに。
「あ、あのー」
力のない笑みを浮かべ、きらきらと眩しく流れ落ちる滝のような髪を揺らしたケイは、鳥に向かって言った。
「ええっと。リューは、オレを助けてくれたんだよ。トゥーランディアの『リリールシカ号』を、どんぶらこー、ってして」
「ほう。それはそれは。わしからもお礼を言いますぞ、リュシーダサンイ。いや、それにしても別嬪(べっぴん)さんじゃのう」
褒められたリューは、得意気に薄い胸を反らす。だが、
「ま。レイラちゃんのほうがかわゆいがのう」
余計なことを言われて、むっ、とした。
「なんだ。その、レイラ、というのは」
「ひげ爺さんの、超年下で可愛い奥さん」
新婚さんだから怒らないでやってくれる? と細い眉を寄せた顔をケイが覗きこむと、魔王は呆れたように首を振る。
「人の子は自分の好きなものが一番美しく見える、ってホントなんだー。あほくさー」
途端にやる気をなくしたリューは、ぺたん、と草の上に座り込んでしまった。
ぷい、とそっぽを向くその隣に、ケイも肩に鳥を乗せたまま座る。
「そこは、マラシトかね」
ふと、まじめな声音で訊ねられた。
「そう、だよ。あのさ、爺さん。オレ……」
「ほほ、かっちょええ頭じゃ。見間違えたぞ。とにかく、無事で何よりじゃ。マラシトというのが厄介じゃが、すぐに迎えに行くでのう」
「待って。オレ……オレ、『鏡の封印』にはなりたくないよ。やっぱり」
すこし、間があった。
声だけの相手は陶器の鳥の向こう側で、沈黙する。
怒っている、だろうな。やっぱり。
ごく、と小さく息を飲む。
すると、小さな手が、ぎゅ、と手を握ってくれた。
そして、カコ、と嘴が動く。
「……そのマラシトには、魔王がおる。魔王の力は強大じゃ。おまえさんがそこに暮らすことは、無理じゃよ。だから、迎えに行く」
「……魔王がいることは、知ってるよ。でも」
なんとなく、隣にいる魔族が魔王だとは言えなかった。そっとリューの顔を盗み見る。
「オレは、だいじょうぶだから」
こちらの心を映してなのか、金の踊る赤い瞳が、どこか不安そうにこちらを見ていた。それにケイは、だいじょうぶ、とケイは笑ってみせる。
けれど、
「でも。ケイの心に小さな闇がある限り、ここにいるのは、ちょっと危ない」
ふと、そうリューが言った。
え、と瞠目するケイに、リューはなおも続ける。
「魔族は、人の子の闇に長い期間触れつづけると、ゆっくりと内側に悪意を持つようになる。自分を汚した人の子を、憎むようになる。そうしたら、リューは。リューは眷属たちのために、ケイを、消さなくちゃいけない」
「……リュー」
「ケイのなかにある闇。なにかわかるでしょ?」
「…………オレが、『完璧なる無属性体』を嫌う心」
そう、とリューはうなずく。
「どうしてケイはリューのこと、きれえ、って言うのに、ケイのことはおぞましい?」
だってリューと自分とは、違う。
そう答えようとするまえに、小さな手がこちらのくちびるを塞いできた。その手はすこし、震えているようだった。
「気付いて、ケイ。もうそろそろ気付いて。ね、ケイ?」
空も、海も。
緑だって、きらきらしていて、眩しい。
それ以上に眩い大きな瞳は、涙を溜めたように光を潤ませていた。
それは瞳に染みるだけではなく、胸にまで染み渡っていくようだ。
リュシーダサンイは美しい。
まるで輝く宝石か、鮮やかな花のように。
こんなに綺麗なものがあるなんて。
世界の入り口に立ったばかりで、こんなに綺麗なものを見ることができた自分は、なんて幸せなのだろうか。
それなのに。その瞳を、こんなに悲しませている自分は、なんて愚かなのだろうか。
じわり、と世界の輪郭が、曖昧になった。