「………………は?」
「おまえのお陰であの場に居合わせた司教をはじめとするお歴々は、まともに話すこともできなくなってな。マルグリットがつくった病院に送られた。もちろん、ヤツがつくった病院がまともな病院であるはずがないが」 「わたしもそう思うわ」 ふふ、と美しく笑ったウタにうっすらと寒気を感じた恋は、曖昧に笑う。なんとなく封魔の別の使用法とやらがわかったような気がして、しなくても良い同情を司教たちにしてしまいそうになったのだ。 恋は苦笑しつつ湯気の立つポットを手に取り、ボブが用意したカップのなかに注ぐ。 「上層を突然失って教会が混乱しているその隙に、あの魔術師は新しいフィオナとして入り込んだ、ってわけか。やっぱり……はじめから全て、あの女に仕組まれていた気がする」 コーヒーの香りのなかで恋が頬を歪めると、低く笑ったボブが続けて言った。 「教会に追われていた魔術師が一転して、いまやフロストロイドに舞い降りた生き女神だからな」 「ほーんとよくやるよなぁ。怖い女だぜ、まったく」 「たくましいわぁ。あたし、おねえさま、って呼んじゃおうかしら」 言い合いにようやく飽きたのか、呆れ顔のアートとひたすら感心しているキャサリンがやってきて、それぞれ恋のまえからふたつしかないコーヒーカップを取り上げてしまう。 「あっ、キャサリン! そのカップは恋のなのよ!」 「あぁら、いいじゃないの。ケチねぇ。イイ男っていうのはね、女性を優先するものなの。ねえ、恋ちゃん? そうよねぇ?」 「初耳」 「あらぁん? アートのバカが恋の分のコーヒー取っちゃったから、怒っちゃったのぉ? 仕方ないわね、口移しで飲ませてあ・げ・る」 「金がないからやめておく」 「あぁん、そんなのタダに決まってるじゃない。アートだったら金取るけど、恋は特別ぅ」 「ひっでえ差別。どう考えても恋より俺様の方が、性格もあっちもイイのに」 「あっちってどっちなの、アート。どのあたりのことを言ってるの?」 「そいつにそんなことを聞くなよ、ウタ」 あっちとはどこ、と首を傾げるウタの肩を、じゃあ俺様が教えてあげよう、とにやけ顔で引き寄せたアートの手を軽く払いのけて、恋は深々と溜息をついた。 「なーんだよ、恋。独り占めはずるいんじゃねえの? それともホンキで面倒みちゃうわけか、そのぶっとんだピンクのお姫様」 にやにや笑いのアートを椅子の上から睨み上げて、恋はくちびるの端をゆるく上げる。 「別に。追加料金の徴収がまだ、ってだけ」 追加料金、と聞いて、キャサリンは首を傾げたままのウタをすばやく恋から引き離し、そう言えば、と慌てて手を打った。 「そう言えば、『フォースター』のマスターがローズを殺した男に懸賞金をかけて追ってるわ。シャドウほどじゃないけど金額もそこそこ。ほかのやつらも、もう動き出してる」 とたんに、部屋の隅で腕組みをしていたボブが腕を解き、アートは舌なめずりをする。 「そんじゃあ、まあ。シャドウブレイカー廃業記念、ってことで、派手にやっちゃう?」 手際良くホルスターをつけていきながら、恋ははしゃぐアートに肩をすくめてみせ、 「派手にやるまえに終わるんじゃないか?」 「まあな! なんたって俺様たち、腕利きだから! でもそうなると、シャドウがいなくなってちょっぴり寂しいカンジ? あの命がけの死闘がいまとなっては懐かしいぜぃ」 「だったら、ネオ・フィオナにお願いしてみれば? シャドウ出しやがれ、って」 「ぜぇったい、嫌だっ!」 お気に入りの緑のマフラーに顎を埋めて、アートはぶるりと身震いだ。 「俺様、ああいうアブナイ女はパス!」 「へえ。おまえは女ならなんでもいいんだと思ってたぜ。意外」 意地悪く笑んでやりながら黒のコートをはおると、尻の辺りを軽く蹴られ、ふら、とテーブルに片手をついた。すると、ウタが膨れっ面でアートとの間に割り込んでくる。 「酷いわ、アート! 恋は怪我をしてるのよ。優しくしないといけないのに」 その頭をうしろから小突き、恋は棚に突っ込まれているチョコレート色のパーカを、す、と指差した。そして、そっけなく言う。 「いいから。おまえもアレ着てついて来いよ」 「えっ?」 「追加分はきっちり働いて払ってもらうぜ。俺の銃と同じくらいの破壊力はまだ持ってるんだろ? それともなに? キャサリンの真似して身体で払ってくれるのかよ」 とたんに顔を赤くするウタを、さっさとしろよ、と睨み付けて急かす。 「俺様、イマイチおまえの考えてることがわかんねえぜ」 遠慮なくやっちゃえばいいのに、とアートに呆れられて、恋はくちびるを苦笑に歪めた。 「さすがにパパが見てるまえではね」 「パパぁ? 誰それ?」 訊かれて、恋は濃い青の瞳を意地悪く細めて、ボブを指す。 「ピンクのお姫様の、パパ」 すると、扉のまえで弟子を待っていた師匠の頬が、ぴくり、と動いた。 「ええっ? あのおっさんがぁっ?」 「そう。そこの変わり者のガンスミスがパパで、おまえも苦手なアブナイ魔術女がママ。そうだよな、ウタ」 「ええっと、そうなるのかしら?」 「うわー。そりゃぶっとんでるわけだぜ」 「そう考えると、出しかけた手も引っ込むだろ? 下手すると、鉛と呪いを同時にもらうことになるからな」 「……くだらないことを言っていないで、さっさとしろ。置いていくぞ」 むすり、と言ったボブに、に、と恋とアートは顔を見合ってふたりして笑みを深め、 「ウタ。パパ、って呼んでやれば?」 「呼んじゃえ呼んじゃえ。パパ〜ん」 「………………いい加減にしろ。撃つぞ」 ホルスターから抜いた銃を向けられて、チョコレート色のパーカに頭を突っ込んだままのウタの腕を引き、笑いながら部屋を飛び出す。 身体中の傷が引きつるようだが、その苦痛よりも爽快感の方がまさった。 町は相変わらず、冷たい灰色。 瓦礫の山と、そこに蠢く何者かの黒い影。 そして、欲望。 けれどそこに、笑い声を吐き出してやる。 なぜなら。 いまようやく、深くて暗いマンホールから飛び出したような気がするから。 長いあいだこの足首を掴んでいた死神の白い手から、ようやく解放されたような、そんな気がするのだ。 町を覆う空気があいかわらず冷たくても、繋いだ手は温かいから。 こんな町にあっても、明日も生きていける、といまは思える。 いつもと変わらない、決して明るいとはいえない空の下で。 ミュージアムプラザのまんなかには、汚い水を溜めたままの壊れた噴水。 「……って、ウタ。やめさせろ」 その噴水の掃除をする、石像。 「ダメよ。あの水は汚いんだもの。臭いし、ぷかぷか虫が浮いているのよ。身体に悪いわ。それに、メリッサはお掃除が好きなの」 世界は変わらないようで、変わるもの。 しかもその変化はめまぐるしくもあり、時には突飛なほど。 「それよりさあ、恋」 幼馴染みが、にやにや笑いながら言う。 「新しい銃のなまえは決まったのかよ? あ! 間違っても俺様のなまえはつけてくれるなよ! 照れちゃう上に、なんか縁起悪いし!」 「だれがおまえのなまえなんかつけるかよ」 「コラ! それがお優しいお兄様に言う台詞かよ。まあいいけどよ。それじゃあ」 扱いにくいお姫様のおなまえは。 そう訊ねられて、チョコレート色の腕を引きながら、恋は肩をすくめて見せた。 「なまえは、付けない」 「およ? なんで?」 右腰にあった美しい人への想いは、
左腿にあった小さな愛らしい手の思い出は、 暗くて寒い、マンホールの底に。 それは、失ったものの代わり、だった。 それを支えにしなくては、瓦礫のなかには立っていられなかったから。 けれど銃になまえをつけると、この手を放さなくてはいけなくなるらしい。 思い出にするには、まだはやい。 失ったわけでもないから。 だから、 この銃に、なまえはいらない。 でもそれを教えて聞かせるには、少々もったいない。 「禁じられたアブナイ兵器は、ひとつで充分」
『黯い魚の歌』。
或る魔術師と技師が生み出した、意思を持つ最強の魔術兵器。 最凶の破壊の書。 わざわざふたつに増やさなくとも、ひとつだけでも充分、 「ウタ! いいからやめさせろよ。誰かに見られたらどうするんだよ。メリッサ、ハウス!」
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