那貴白のある一日 
 
 
 
那貴白は白いイタチの姿をした地霊だ。
精霊には名前がない。そのため、「那貴白」は主である葛葉に名付けてもらったものだ。
 
 
「みんな、おはよう!」
明るい声が山中に響き渡った。黒髪黒瞳の青年――葛葉が大きな声で告げる。
那貴白の一日は、山に入って来た葛葉のこの挨拶から始まる。
那貴白は真っ先に葛葉に駆け寄ると、葛葉の足元に纏わりついた。
『葛葉、オハヨウ』
「うん。おはよう」
那貴白だけでなく、他の物の怪や精霊たちも次々と葛葉に言葉を掛ける。
これが朝の日課だ。
葛葉は一日の大半を山で過ごし、その時間の多くを物の怪たちとの交流に当てる。
今日の遊びはかくれんぼだった。
「那貴白、みーつけた!」
『見ツカッタ……』
その声に那貴白はひょっこりと、地面の中から顔を覗かせた。
深く生い茂った草叢の、さらに土の中に身を潜めたというのに葛葉はそこにいるものを見つけ出す。
「あとは……辻里(つじり)と八目(やつめ)だね」
視線を彷徨わせ、葛葉は残りの二匹を探す。
那貴白は葛葉の後を追うように地面の表面を出たり入ったりしながら移動する。
葛葉にすでに見つけられた物の怪たちも、葛葉の邪魔にならないように距離を置きつつ、後をついていく。
あとの二匹も然程時間を掛けずに見つけられるだろう。
そのときだ。
本能的に那貴白はその場から離れると、傍の木の後ろに身を隠した。
他の物の怪たちも同様に距離を置く。
風が吹いた。
いつの間に姿を現したのだろうか。
葛葉の背後に、長身の白い影が立っていた。
長い白髪が風に揺れる。
地を駆けるためだけにある逞しい四肢。燃える炎を宿す金の双眸。
いにしえより生きる大神こと木狼がそこに姿を現していた。
「あっ! おはよー、もくろー」
『あぁ』
木狼の気配に気付いた葛葉は驚いた様子を見せることもなく、満面の笑みで友を迎えた。
神である木狼は物の怪たちにとって畏れ尊ぶべき存在である。迂闊に傍に近付くわけにはいかない。
葛葉と木狼は何事か言葉を交わしている。
そうなれば、物の怪たちが傍に行くことは出来ない。
下手に機嫌をそこねれば、たかだか物の怪でしかない身は一瞬の後に抹消されてしまうだろう。
会話が終わるのを大人しく待っているしかない。
ところが、
「ごめん。ちょっと用事が出来たから、かくれんぼ終わりで良い?」
葛葉は手を合わせて、那貴白たちに謝罪する。
微かにざわめきが広がる。
『葛葉、用事?』
「うん。ごめんね。また後でね」
そう告げると、葛葉は木狼と共に山を下っていった。
葛葉がいなくなれば、物の怪たちが群れている理由はない。
各々に散って行く。
那貴白は暫し考えた。
葛葉が遊びを中断してまで行く用となると、ただごとではない。
手を顎について少し考える素振りをしたあと、那貴白は見えなくなった後ろ姿を追うように山を下って行った。
 
◆◆◆◆
 
山の麓には水椥という一族の家がある。
そこで葛葉は暮らしている。
気配を辿ってみると、どうやら葛葉はその敷地内に入って行ったようだった。
そうなると、那貴白にはどうしようもない。
水椥家の敷地の周りには結界が張られている。
大神のように力が強い存在ならば、そんな結界など意味を為さないが、那貴白では結界に引っ掛かってしまう。
仕方なく那貴白は、山に面している裏門の方から西回りに表門のほうへ移動することにした。
少しずつ地面がコンクリートに覆われている場所が増えてくる。
那貴白はコンクリートを避けながら進む。
地霊である那貴白は大地に属する。そのため、大地とは似て非なるアスファルトの上に乗ると大地からの気が途切れて、姿を保っていられなくなる。
一度、己の姿を見失えば取り戻すのには時間が掛かる。否、那貴白たちにとってはそれほど長くはないが、人間にとっては百年単位に当る。
下手に姿を失えば、主である葛葉と二度と会うことはないだろう。
表門まで来ると中を覗きこんでみる。が、人影すら見えない。
もう一度裏門に移動する。結局、水椥家の周りを一周することになった。
那貴白は、ひょこひょこと地面の中を入ったり出たりしながら進む。
もう少しで裏門だ、というときに那貴白はそれに気がついた。
そっとそれに近付いていく。
裏門から少し離れた茂みの中で蹲る蒼い人影。
「天写」と呼ばれるそれが水椥家の当主という人間の式神であることを那貴白は知っていた。
以前までは鯉の姿しかとることが出来ず、低級の物の怪となんら変わらぬ存在であった天写だが、つい最近のとある出来事によって人型になれるようになったらしい。
それからは主である人間にべったりくっついていると言う話を聞いていたのだが。
見渡す限り、その主らしき姿は見当たらない。
少し躊躇ったあと、那貴白は天写に近付いていった。
『何シテル?』
「……!?」
那貴白が声を掛けると天写は勢い良く顔を上げ、それから左右に視線を向けて最後に那貴白に蒼い双眸を落とした。
「えっと……確か、葛葉様の?」
『何シテル?』
小首を傾げてもう一度問う。
天写は那貴白に視線を注いだあと、ふいっと視線を逸らした。
「貴方には関係ありません」
言葉と共に両手で払うような仕草をする。それに対し那貴白は頷きを返した。
『是』
那貴白はそのまま身を翻した。
確かに関係ない。
那貴白と天写に個人的な関わりがあるわけではなく、単に主同士が仲良くしていると言うだけだ。
いがみ合えば主の迷惑になるが、そうでなければ干渉し合う理由もない。
もしかしたら、葛葉が家に戻った理由を知っているかと思っただけで、この様子では葛葉が戻っていることも知らないようだ。
ならば、関わりあう必要はない。
そう那貴白は判断したのだが……。
「ちょっと待ってください! こんなところで私が蹲っているというのに、それだけですか? もっとこう食い下がって理由を聞くものではないのですか?」
天写は慌てたように声を上げると、跳ね上がった那貴白の尻尾を掴む。
那貴白は首だけで振り返ると、遥か上にある顔を見上げた。
『無イ言ウ。行ク』
関係ないと言ったのは天写だろうと那貴白が言えば、尻尾を放した天写は肩を落として、
「言いましたけど……私が葛葉様であったら簡単には引き下がらないでしょう?」
『違ウ。葛葉違ウ』
「確かに……私は葛葉様ではありませんが。例えばの話ですよ! とにかく、何があったか聞いてください!」
強引に強請られ、仕方なしに那貴白は天写に向き直ると、
『何?』
「よっ……良くぞ聞いてくださいました!」
大袈裟な身振り手振りをする天写に、那貴白は思わず一歩後退った。
そんな那貴白の様子には気付かず、天写は勢い良く立ち上がると、
「我が主をご存知ですね! 麗しき亜麻色の髪、可憐な瞳、匂い立つような芳しき姿……」
拳を握り熱く語り始める。
主を褒めまくる天写。那貴白はそれを横目に欠伸を漏らした。
褒め言葉が一区切りしたところで、半分眠りかけていた那貴白は顔を上げる。
『イル、理由?』
ここにいる理由は一体なんなのか。
天写は那貴白がいたことを思い出したように、目を見開いたあと、突如としてその場にへたりこんだ。
「我が……我があるじがぁぁああ!」
顔を伏せてわんわん泣き出した天写に那貴白はギョッとする。
「我が……主がぁぁあ」
泣き喚く天写の断片的な言葉から那貴白が読み取った理由はこうだ。
普段からなにかとべったりと主に引っ付いている天写だが、今日はその度が過ぎてしまったらしい。
煩がられて部屋の外に追い出されてしまったようだった。
「私がいつ、主の邪魔など……誠心誠意お仕えしているというのに」
人離れした美貌の麗人が、土に「の」の字を書く。
那貴白はこくこくと舟を漕ぎながら眠気に耐える。
「あぁ、我が主。何故ですか!? 私は私は……」
ふっと、那貴白は目を見開いて背後を振り返った。
見知った気配が敷地外に出てきたのだ。
一人身悶える天写をそのままにし、那貴白はその気配に向かって移動する。
『葛葉! 葛葉!』
「那貴白? どうしたのこんなところで」
ちょうど裏門から出てきた葛葉と出くわした。
那貴白は葛葉の足元に寄って小さな尾を振った。
木狼の姿は見えない。
『大神、一緒?』
「もくろー? もくろーはまだ中にいるよ。那貴白はもくろーに用事があるの?」
その言葉に、小さな頭を振って否定する。
『葛葉、困ル? 我、手伝ウ?』
「心配してくれたんだ。ありがとう」
手伝うことは何かないかと言う那貴白に、目線を合わせるように屈みこむと、葛葉はその頭を優しく撫でた。
那貴白は目を細め、気持ち良さ気にその手を受け入れた。
「でも、もう終わったから。それより道馬くんの式神さんを知らない? 道馬くんが探してたんだけど……」
『是。我、知ル』
「本当! 那貴白って物知りだね」
那貴白は葛葉を先導して、天写のもとまで案内する。
天写は地面に座り込んだまま、まだ「の」の字を書いていた。
「あっ……いたいた」
「葛葉様? なんの御用で?」
葛葉に気付いて顔を上げた天写は、首を傾げつつ尋ねる。
「道馬くんが探してたよ」
「わっ……我が主が私をですか!」
「うん」
「な、なんと! 主の喚び声に気付かぬとは、この天写。一生の不覚!」
天写は飛び上がるようにして身体を起こすと、
「只今参ります! 我が主ぃぃい!」
叫びながら塀を飛び越えて家の中に入って行った。
葛葉は目を丸くしてそれを見送る。
『葛葉、葛葉』
那貴白は小さな手で葛葉のズボンを引いた。葛葉の視線が落ちる。
『山行ク?』
用事が済んだのなら、山に戻っても良いはずだ。
葛葉は少し考え込む素振りをした後、
「そうだね。行こうか」
微笑みながら頷いた。
歩き出した葛葉に寄り添うように、那貴白も移動を始めた。
 
◆◆◆◆
 
日が沈む頃――。
山中を駈けずり回った葛葉も水椥の家に戻る。
闇が支配する中、白い那貴白の体が浮かび上がっていた。
夜は物の怪たちの時間だ。
様々な異形の姿をしたものたちが、そこら中に蠢いている。
しかし……。
那貴白は腐葉土が溜まった大地の中に姿を消すと、それっきり姿を隠した。
葛葉の周りには大きな気を持つ存在がいる。
ましてや、今日は四神と言われる存在と会話をしたのだ。気に当てられ疲れてしまった。
明日も良く晴れるだろう。
那貴白の意識は曖昧になっていく。
日が昇れば、葛葉がまたやってくる。
明日は邪魔が入らずに遊べたら良い。
そう思いながら、那貴白はまどろみの中に沈んでいった。
 
それは、那貴白のある一日。
 
 
 
 
 
Plumeria様の999のキリ番を踏ませていただいたので、Plumeria様のオリジナル小説「平成陰陽記伝」から、鳳蝶お気に入りのキャラ那貴白ちゃんメインのお話を、とリクエストをw
とってもカワイイお話をいただきました♪  ありがとうございます!

え、文章と絵はいいのに、背景が変? 気のせいです( ゚∀゚)フハハ八八ノヽノヽノヽノ\/ \/ \
Plumeria様から苦情が来ない(気付かない)限り、背景はコレでいく!
 
Plumeria様へ 

  

 

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