てふてふと
 

 美しい少女だった。そう、それはまるで、蝶のような。
 黄色と黒の、揚羽を思わせる取り合わせの色の服を身に纏っている。そのドレスは、ゴシックロリータのように、どこか違う世界をそこに作り出していた。
 彼女の目は冴え冴えとした蒼、流れた髪は艶やかな黒。表情だけが、何とも空々しく貼り付けた、人形のように完成されたものだった。
 裾が広がった衣装が、羽のようにふわりとはばたく。
 いきなり入ってきたその少女に、男は面食らって目を瞬かせた。
 手にしていたワイングラスをオーク材のテーブルに置き、警戒よりは困惑の色を乗せて少女に尋ねる。
「誰だ君は?」
「――」
 少女は口を開き、音を発したようだった。だが、男の可聴域にその声は入ってこない。
 男は首を傾げながら、続けて質問した。
「君は、この近くの子なのか?」
 少女は首を静かに振る。
 答えはノー。迷子だろうか、と男は内心舌打ちをした。
 セキュリティに何か問題でもあったに違いない。
 あとで警備会社に苦情の電話を入れてやる、と男は顔をしかめた。
 ここは男の別荘だ。迷子とは言え、勝手に人にずかずか入ってきてほしいものではない。
 この別荘は男ができる限りの金と手間をかけ、たっぷりと趣向を凝らしたもの。都会の喧騒を離れて心を洗うため、とてつもない山奥に土地を購入し建てた家だった。
 物取りか何かにしては幼すぎるし、格好が奇妙すぎる。男は警戒を解いて少女に告げた。
「ここは、僕の土地だ。もし迷子になっているというのなら、警察に電話してやる。だから、迎えがきたら行きなさい」
 この別荘がようやく完成して、初めての宿泊だ。こんな俗事に関わって、心の平穏を乱されたくない。一人きりの時間を過ごすために、わざわざ女の一人も連れてこなかったのだから。
 しかし、男の言葉には注意を払わず、少女はある一点を睨んでいる。
 それは、狩った鹿の首を剥製にしたオーナメントだった。
 その上には射撃用のライフルが飾ってある。
「ああ、それか? 僕の趣味でね。見事なものだろう」
 自慢げに言った男の方を、少女は、ぎしぎしぎしぎしぎしぎしっ、と小刻みに首を震わせて見た。
 その動きは人形の首を無理やり捻った時を想起させ、男は思わずワイングラスに伸ばしかけていた手を止めた。
 空を映したような色の瞳が、男を射抜く。
「――ふん、動物は皆人類の友とかいうんじゃないだろうな、くだらん」
 狩猟を趣味とする男にとって、それほど不快なことはなかった。
 胸に生まれたむかつきを飲み込むためにワイングラスを手にし、口につけた時。
「――オ前ハ、食ッタノカ?」
 不意に耳に飛び込んできたのは、拙い日本語だった。
 母語以外の言葉を、子供が初めて発すればこんな風にぐしゃりと押し潰された言葉になるだろう。
 男が、目の前にいる少女が言ったのだと理解するまでに数瞬を要した。
「――何だって?」
「狩ルダケ狩ッテ、食イモシナイデ。子供ガおもちゃデ遊ブミタイニ、ボロボロニシテ」
 淡々とした口調が逆に寒気をかきたてる。
 少女の瞳には、憎悪の色はない。ただ、その背中から、可憐で華奢な体の全てから、禍々しい色の何かが立ち昇っていた。
「オ前ハ、多クノ山ヲ切ッタ。ソコニ建物ヲ造リ、人間ガ住ムヨウニシタ。ソノ下ニ、誰ガイルカナンテ考エモセズニ」
 ロードローラーで轢いたらこんな声になるのだろうか、と思うくらい平坦で抑揚が全くない声で少女は恨みという名の音を紡ぐ。
 何故この少女は自分の職業を知っているのか。
 男は背筋に冷たいものを感じながらも、苛立ちを隠そうともせず反論した。
「それが僕の仕事だ。開拓し、人間の住む土地を作る。ただでさえこの国は狭いんだ、山を切り崩して平地にするのが、人が一番効率よく住める方法だろう。下に誰がいたって? 人間はいなかっただろう? そんなことをしたら殺人罪だ、冗談じゃない」
「地面ノ下ニハ、色ンナ動物タチガイタ、植物タチガイタ。オ前ノセイデ、イッパイ死ンダ」
 少女が一歩、前へ踏み出した。よくよく見れば、素足に泥がついたままである。
 僕の別荘を汚すな、と叫びかけて、男は息を呑んだ。
 引きずるくらいに広がっている裾の黄色に、新たな色がじわじわじわじわと滲んでいく。同時にべきっ、と嫌な音がして、少女の左腕があらぬ方向に曲がった。
 男のそれに比べればはるかにか細いそれから、白いものが突出し、別荘の床に鮮烈な色を落とした。
 一滴や二滴ではすまない、おびただしい量の染みを見て男は喉が裂けるような悲鳴を発する。
 ワイングラスが掌中から滑り落ち、床に傷をつけて砕け散った。中の液体がこぼれて広がり、少女の血と混ざり合う。
「オ前ハ、ワタシモ殺シタクセニ」
 男は恐怖に喘ぎ、ようやくそれが何かを理解した。
 もはや無残な装束と果てた羽から遠ざかろうと、無様に転げながら男は後退し、叫んだ。
「し、仕方ないじゃないか! 動物なんていつかは死ぬもんなんだ、自然の摂理だ、そうだろう!?」
 男の悲鳴混じりの懇願に、そこで初めてその揚羽蝶は笑った。
 美しい笑みだった。
「ジャア、オ前ガ死ヌノモ自然ノ摂理ダナ」
 手には、いつの間にか男が壁に飾っていたライフルがある。少女は、それを何のためらいもなく押し当てた。
 男が悲鳴をあげようとした、その喉を。
 火薬が爆発し、勢いよく押し出された弾頭が、正確にそこを貫いた。
 

 その後、辺鄙な山に建てられた別荘で、一人の男性の遺体が発見された。
 入念にチェックした結果、セキュリティのどこにも妨害や破壊された痕跡はなく、侵入者がいた痕跡もない。また、喉元に火傷があったことから、喉に猟銃を押し当てて自殺したものと警察は断定した。
 その遺体の傍には、小さな命の残骸が落ちていた。
 それはライフルの重さに耐え切れず、体を塵芥のようにぼろぼろにして、原型が何だったかすら判別がつかないものと化していた。
 しばらくは現場の証拠品として保存されていたが、やがて自殺と判断されて遺族が遺産分割に揉める頃合になると、保管庫から職員の手で外に出された。
 丁度その日はごみ収集車が回収に来る曜日で、職員はあわてて、走り去ろうとするごみ収集車に手持ちのごみを放り込んだ。
 そしてあまりに呆気なく、それはばらばらになって、誰からも忘れ去られていった。
 
 
 

 著:三毛猫様

CentralStation様の三毛猫さんから相互リンク記念に、鳳蝶が多様している(笑)ちょうちょをモチーフに、ホラーちっくな文章をいただきました!
つくづく人間って勝手だわ、って思ってしまいます……あぁ、粉々!
ちょうちょなゴスロリは、ちょっとしてみたい♪(ぇ
三毛猫さん、ありがとうございました(*´艸`*)

 

 

 

 

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