じめてのおつかい
 
 
「ふ、わ……ぁ」
 やわらかな光と活気に包まれた、朝の市場。
 そこには、普段聞きなれない音とさまざまな匂いが、雨上がりの川の水のように溢れていた。
 色鮮やかな果物や菓子が山のように積まれ、並んでいる。けれど、その匂いにちいさな鼻を動かすも、おおきな青い双眸は目のまえの光景に釘付けだ。
 貴婦人の羽根扇のように長くたっぷりとした睫毛が縁取るのは、王宮の奥に燦然と鎮座する極上の青石のような光をいっぱいに溜めた瞳。
 それがいまは、瞬きすら忘れてぽかんと見開かれている。
 品物を手に、道行く人々に向かって声を張り上げる物売り。笑い声をあげながら通りを駆けていく子どもたち。道の端に広げられた絨毯の上に並ぶ品物を物色するもの、談笑するもの。
 突如、すぐ左側で大声を張り上げられて、びくりと思わず首をすくめた。あまりに驚いたものだから、白い綿毛のようなやわらかな毛に覆われた耳が、光を閉じ込め凍りながら流れる滝のような銀色の髪の隙間から飛び出てしまったことに、気づかない。
 さらにおおきく見開いた矢車草の青い瞳が、走り去っていく子どもに向かって怒鳴る太った女を映す。
 声も出せずに凝視するこちらに気づいたのか、鈍重というよりは逞しく見える中年女が、おっとごめんよ、とからりとした笑顔を向けてきた。そして、
「まったくうちの悪餓鬼どもが、困ったもんだよ。おや? 坊や、ずいぶんかわいらしい耳あてをしているじゃあないか」
 いいねぇ、と女は白い歯を見せながら、大声に怯えて垂れてしまった、兎のものにしては短く猫のものにしては少々大きいような耳の先を、水仕事で荒れたのだろう指先で軽くつつく。
「きゃう」
 くすぐったさにちいさく悲鳴を上げて首をすくめると、耳に触れた女が目をまるくした。おや、と口のなかで呟きこちらをまじまじと見つめてくる。
 それを上目に見つめ返しながらも、どうすればいいのかわからずに立ち尽くしていると、やがて女がなにかを理解したようにひとつ頷き、そのあとふたたび影のない笑みを豪快に浮かべた。
「坊や、買い物に来たのかい」
 訊ねられて、しかし急だったためによく聞きとれずに首を傾げると、女はこちらに目線を合わせるように腰を落として今度はゆっくりと紡ぐ。
「買い物に、来たのかい」
 繰り返された言葉を理解して、こわばっていた頬の緊張をそろそろと解き、にっこりと頷いた。
「お金は、もっているのかい」
 こういうものだよ、と前掛けのポケットから取り出したいくつかの硬貨を見せる女に、また首を傾げる。
 その拍子に銀糸の髪がさらりと頬を滑った。朝日を清らかに跳ねて煌めくそれに目を細めた女が、そうかそうか、とひとり呟きながら少々乱暴に、けれど温かさの滲む仕草でこちらの頭を撫でてくる。その優しい感触をくすぐったく、嬉しく思っていると、
「坊やは、なにを買いに来たんだい。なにが欲しいんだい」
 とそう問われて、青い瞳をくるりと空中にめぐらせて言葉を探した。そして、発音しにくそうに何度か口をぱくぱくと動かして、
「……かみかざりが、ほしいの」
 まるで覚えたての人の言葉を話す小鳥のような拙い口調で、髪飾りが欲しいのだとやわらかそうな頬をほんのりと染めて言う。
「坊やがつけるのかい」
 ううん、とぴょこんと立ち上がった白い耳を揺らしながら首を横に振って、ふたたびあらゆるものが溢れる市場をきょろきょろと見回した。やがて、ある一点に目を止め、顔を輝かせる。
 女がその視線を辿るように振り返った脇を、するり、と抜けて目当てのものがある店へと駆けだした。そして、くすんだ青色の絨毯が広げられた前に座り込む。
 そこには、安物の石や金具で花や星など様々なものを模った髪飾りやブローチがずらりと並べられていた。
「わ、ぁ……」
 しかし、青い瞳を輝かせながらもおそるおそる手指を伸ばし飾りに触れてみたところで店番している髭の男と目が合い、思わずそのままの体勢で硬直する。そこへ、
「それが気に入ったのかい」
 ついてきた女に手元を覗きながらそう訊ねられて、身体が弛緩した。振り仰ぐと、女が安心させるようにまた頭を撫でてくる。
「坊やの瞳の色には負けるけど、綺麗な青色だねぇ」
 綺麗だね、と言ってちいさなてのひらの上に女が乗せてくれたのは、青い石を翅の部分に使った蝶の髪飾りだ。
 似たような形のものなら、やわらかく飛ぶものをたくさん知っている。森の奥には、もっと綺麗な色のものもいて、一緒に遊んだこともあった。
 けれど、ふんわりした金色の長い髪に、ずっと飛んでいかずにとまっていてくれるものはいない。髪飾りがほしい、といつだか言っていたから、飛んでいってしまうと困ってしまうのだ。
「これ、ほしいの」
 この蝶なら飛んでいかない、と見つけたものに喜び、頬を染めて言う。
「百五十だよ。金は持ってるのかい?」
 店番の髭の男が、このあたりでは見かけない子どもの姿に首を傾げた。ちら、と白い耳に瞳をやる。
「ちょいと、おまえさん。その飾りはほかの人間には売らずに、この子が買いにくるまで置いておいとくれよ」
 答えたのは女のほうだ。あいかわらずこちらの頭をがしがしと撫でながら、豪快に笑う。
「アルマ。その子は?」
「うちで預かってる知りあいの子だよ。かわいいだろう。さぁ、坊や。こっちにおいで。おばさんの手伝いをしてくれたら、お金をあげるよ。そうしたら、お金をもってこの髪飾りをここにまた買いにくればいいからさ」
 こっちにおいで、と手招きされて、あわてて飾りを絨毯の上に戻し立ち上がった。すいすいと人込みを抜けていく女に小走りでついていき、
「おかね、ってなぁに」
 つい、と前掛けの端をちいさく引いて訊ねると、女はさきほど取り出した硬貨をまたごつごつとした手の上に乗せてみせる。
「これだよ。欲しいものと交換するためにひつようなものなんだ。物々交換でもいいけどねぇ、自分が欲しいものを持っている相手が欲しいものを、自分が持っているとはかぎらないだろう?」
「うん」
「だから、そのかわりにお金をつかうんだよ。欲しいものとおなじだけの価値があるお金を、相手に渡すんだよ。相手はそのお金を持って、また自分の欲しいものと交換すればいいんだ。あの飾りなら、このまるいお金が三十枚だよ。これからおばさんの手伝いでがんばってくれたら、働いてくれた分のお金を坊やにあげるからね」
「ほんと?」
「あはは。おばさんは、嘘はつかないさ!」
「うん、うそつかない。おてつだい、する」
 にっこりして頷いてみせると、自分から嘘はつかないと言った女がなぜか、目を丸くした。そしておもしろそうにこちらの顔を覗き込み、
「おや。どうしてそう思うんだい?」
「におい、しない」
 嘘をついているような匂いはしない、と言うと、へ? とおかしな声を上げた女が、不思議そうに自分の匂いを嗅ごうと腕を上げる。しかし、そんなものが自分にわかるはずがないと途中で気付いたのだろう、また笑い声を上げた。
「汗と埃の匂いしかおばさんにはわからないけどね。坊やはすごいね!」
 影のない笑みと嘘のない言葉に、ぴくぴくと耳が動く。まだ弱くてちいさな翼を隠した背中が、むずむずする。
 慌てて女のあとについて、建物と建物の間に洗濯物がいくつも干してある細い路地へと入った。すこし歩くと、壁を色とりどりのタイルに飾られた家に着く。
「ここだよ。うちの悪餓鬼どもは知ってのとおり遊びに行っちまってるから、静かだろう? まったく、うちの仕事を手伝いもしないで遊びほうけて……っと、ごめんよ。愚痴だったねぇ」
 そう言って、女はちいさな戸口をおおきな身体でするりとすり抜けて中へ入っていった。
「ちょうど林檎の甘い菓子を焼こうと思っていたんだよ。籠に入れて、売り歩くのさ」
「おかし? おかしは、すき。りんごもすき」
「そうだろう。できたらひとつ、わけてあげるよ」
「おかね、ないよ?」
「坊やが林檎の皮剥きを手伝ってくれたら、お菓子をわけてあげようね。それからお菓子を売るのを手伝ってくれたら、お金をあげよう」
 はい、と差し出された林檎は宝石のように真っ赤で艶やかで、甘酸っぱい良い匂いがする。大切に両手で受け取り、その匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
「そのまま齧っても美味しいんだけどねぇ。お菓子にするなら、皮を剥いたほうが食べやすいのさ。ほら、こうしてナイフを使って皮を剥くんだ。こう、だよ」
 女はそう言ってまずは自分でちいさなナイフを器用に使って、するすると赤い皮を薄くリボン状にして剥いていくようすを見せる。そして、つぎにちいさな白い手に両手を添えてそっとナイフを持たせ、光沢のある林檎の表面に刃をあてさせた。
「よく切れるから、気をつけるんだよ。ほら、こう……林檎のほうをゆっくりまわして……」
「こう」
「そうそう、上手だよ」
 褒められるとひどく嬉しくて、母親の胸に抱かれているときとおなじくらい温かくて、もっと喜んでもらいたくなる。もっと上手に林檎の皮を剥いて、もっと役に立ちたい。
 そして頑張って手伝いをしたら、あの飾りを買いに行くのだ。
 はじめて人の姿を真似て、はじめて人の町に降りてきた。そこで人の役に立って、買い物をする。その買い物は、大好きなあの子のためのものだ。
 人の役に立つのは、嬉しい。
 人が喜ぶ顔を見るのも、嬉しい。
 あの子が喜んで笑ってくれると、もっと嬉しい。
 嘘をつかない親切な人に会ってその手伝いをしたと話したら、あの子は笑ってくれるだろうか。あの髪飾りを贈ったなら、あの子は喜んでくれるだろうか。
 きっと笑ってくれる。
 きっと、喜んでくれる。
「がんばる」
 こくん、とひとつ頷き、しっかりと林檎を左手に、ナイフを右手に持った。ぎこちない動きではあるが、ゆっくりと慎重に皮を剥いていく。
 慣れない刃物を使っての作業に集中する姿に、女はちいさく微笑んで、菓子作りの道具を用意しはじめた。
 
 
 そして。
 艶やかな林檎のような夕陽が、その日最後の赤い光で名残惜しげに豊かな森とその傍にある町を抱え込むころ。
 山の手に建つ屋敷で、ひとりの少女が自室の椅子に腰をかけながらも、森の緑をした瞳を何度も窓の外にやりそわそわとしていた。
 金色のふんわりとした髪が白い頬をやわらかく撫で、華奢な肩にまで流れている。その姿から、将来は美しい貴婦人になることが容易に予想できた。
 きょう十二歳になったばかりの少女の部屋には、両親だけでなく親戚や友人たちからの贈り物が山となっている。けれど、そのなかに一番の親友からのものはなかった。
 贈り物が欲しいわけではない。
 ただその親友からの、おめでとう、という言葉が欲しいのだ。それがなによりの贈り物だというのに。
「お嬢様。どうかされましたか」
 落ち着かない少女に、紅茶を持ってやってきたまだ若い屋敷の執事が、整った顔に不思議そうな色を滲ませて声をかけた。
「お友だちが、まだ来ていないのです。きょう必ず来る、とそう約束してくれたのです。けれど、もうすぐ陽が落ちてしまうわ。何かあったのかもしれない……心配だわ」
「お友だち、ですか。皆さまみえていたように思いましたが」
「いいえ、まだよ。一番大切なお友だちが、まだ」
「わたくしがお屋敷のまわりを見てまいりましょうか」
「だめよ。怯えてしまうわ。だってあなた、黒いのだもの」
 特に悪気はなかったのだが悪戯心から少々冷たく言うと、執事が絶句しながら黒ずくめのおのれの姿を見下ろした。
 彼は、執事として隙のない恰好をしてはいるが、幼い子どもにしてみればそれは近寄りがたいものだ。しかも滅多に笑わないのだ、怯えるに決まっている。
 なにやら考え込みながらも、執事は少女のまえに優雅な動作で紅茶を出した。
 執事がいない家の子どもなどと、いつのまに仲良くなったのだろう。戸締りが手薄だったのだろうか。
 執事が考えているとするなら、せいぜいそのようなことだろう。横目で執事の顔を盗み見ながら少女がそんなことを思いつつ、黙って出された紅茶に手を伸ばすと、
「……あの、着替えたなら怯えられないでしょうか」
 気にしていたらしい。
 真面目くさって訊ねてくる執事の顔がおかしくて、少女はくすりと笑った。
「着替えるまえに、少しくらい笑ってみるといいのです」
 澄まして、砂糖壺からひとつ取り出した角砂糖を紅茶に溶かす。
「笑うと、ですか」
 困惑する執事に笑いながら、また窓へと瞳をやったときだ。
「何者です!」
 厳しい誰何(すいか)に、心臓が跳ね上がった。なにごと、と椅子から腰を浮かせるまえに、目のまえを銀色の光が一直線に窓へと飛ぶのを見る。そして、
「!」
 直後、カツ、と鋭い音を立てて窓の外に伸びる木の幹に銀のフォークが突き刺さり、一気に背が凍った。
 制止しようとくちびるを開けるが、声を発するよりもはやく窓から恐ろしい速さで部屋のなかへと飛び込んできたものに、制止の言葉は甲高い悲鳴へとすり替わる。
 突き刺さる銀のフォークよりも、もっと澄んだ光で編んだような銀が閃き、あちらこちらに赤い夕陽の光を鋭く跳ねた。あまりの速さに、目が追いつかない。
 執事がとっさにこちらを庇って抱き込むと、怒り狂う獣の唸り声が部屋のなかに響き渡った。
 さらに執事がそばにあったトレイを引き掴むと、侵入者がカウチの陰に飛び込む。
 その一瞬に見えた姿は、やはり見覚えのあるもので、
「待って! ふたりともやめて! わたしはだいじょうぶだから!」
 声を振り絞って叫ぶと、しん、ととたんに沈黙が降りた。
 けれど、またしばらくするとちいさな唸り声が聞こえ始める。だから、少女は自分を庇いこむ執事の胸を押さなくてはならなかった。
「わたしはだいじょうぶだから、ふたりとも落ちついてちょうだい」
 溜息をつき、それから白い頬を膨らませて執事を見上げる。
「あなた、いつもフォークを持ち歩いているの?」
「……いえ、あの、偶然です。申し訳ございません、お嬢様」
「食いしん坊なのかしら」
「それは、違います」
 両手を腰に当てて軽く睨みつけると、執事は侵入者が逃げ込んだカウチのほうを気にしつつも直立不動になった。
 少女はそれを見て溜息をつくと、
「サハクィエル?」
 カウチを振り返って、そう声をかける。
「サハクィエル? 天使……ですか?」
 不審そうな執事の声に、ええそうよ、と短く答えて、ゆっくりとカウチへと近づいた。
「ごめんなさい。びっくりしたでしょう?」
 よく見ると、カウチのそばにはちいさな籠が転がっている。
「この籠はどうしたの、サハクィエル」
 そっと屈んで籠に手を伸ばすと、ようやく唸り声がやんだ。かわりに、
「……もらったの」
 まだ怯えているのだろう、かすかに震えた声が聞こえる。
 その幼い声に、背後で執事が驚くらしい気配がするが振り返りはしなかった。それよりも、親友が怪我をしていないかということのほうが心配だ。
「せっかく来てくれたのに、ほんとうにごめんなさい。怪我はないかしら」
 籠を拾い上げると、カウチの向こうで影が動いた。
「けが、ない。マリーは、してない?」
「ええ、わたしは怪我していないわ」
「そのくろいのなに。だれ」
「うちの、食いしん坊な執事よ。あなたと一緒で、わたしを守ろうとしてくれたのだけど……あとで、いきなりお客さまにフォークを投げるものではないとよく叱っておくわ。だから、ねぇ、サハクィエル。出てきてちょうだい?」
「お嬢様」
 危険です、と言いたげな執事を振り返り、少女マリーはふたたび軽く睨みつけ、
「サハクィエルは、わたしの一番たいせつなお友だちです。心配しなくてもいいわ」
「……はい」
 しぶしぶといったようすで返事をする執事から瞳を離したマリーは、サハクィエルが持ってきた籠のなかをそっと覗き込んだ。
「これはなぁに」
 すると、ぴょこん、とカウチの向こうから白い頭が覗いた。うさぎほど長くはないが、猫のものよりはおおきな耳がこちらのようすを確認するように動く。
「それ、アルマにもらった」
「アルマ?」
「そう、おかあさんのにおいのする、にんげん」
「おかあさん?」
「いっしょにおかしつくって、うったの」
「まあ! サハクィエルが? 町にいったの?」
 驚いて声を上げると、ゆっくりとサハクィエルがカウチの陰から出てくる。
 その姿にこそ執事は驚き絶句したが、マリーは華やかな笑みを顔いっぱいに咲かせた。
「やっと出てきてくれたわね、サハクィエル!」
 声を弾ませて、その首に抱きつく。
 抱きつく相手は、サハクィエルとマリーが天空の天使の名で呼ぶ、人にあらざるものだった。
 大型犬ほどの大きさではあるが、犬などではない。
 ふんわりとやわらかそうな真白い毛に覆われたその首のあたりには、光を抱えて凍りながら流れる滝のような、けれどまだそれほど立派ではないたてがみがある。
 背には金剛石を薄くのばしたかのような羽根が輝く、身体よりも大きな翼が一対。
 爪は内側の血管を透かせて薄紅色に輝き、身体とおなじほどの長さもある尾の先には月長石の鏃(やじり)のようなものがある。
 前足は猛禽のもののようなかたちで、後足が大型の猫のもののようだ。
 それはあまりに美しい、計り知れない神秘の力を見の内に秘めた生き物だった。
 真珠色の鱗が産毛なのだろう真白い毛のあいだから覗くのは、まだほんの子どもだという証拠。とはいえ、この生き物がそうそう見ることのできない貴重なものであることには間違いない。
「お、お嬢様……こちらの……お友だちは……その……まさか」
 常は冷静である優秀な執事も、さすがに目のまえに現れたその美しい生き物に呆然とするらしい。
 そんな執事を、ちら、と長い睫毛に覆われた澄みきった極上の青石の瞳で見やったサハクィエルが、あのね、とどこか恥ずかしそうに首に抱きつくマリーに言った。
「あのね、マリー」
「なぁに」
「おたんじょうび、おめでとう」
 おめでとう、とやさしい声で歌うようにまだ鋭くはない牙の隙間からそう言って、サハクィエルは籠のなかにちいさな頭をつっこんだ。そして、咥えて取り出したものを、上目にマリーをうかがいながらそっと差し出す。
 それは市場で出会った女の手伝いをしてもらったお金で買った、蝶を模った青い石の髪飾りだ。
「まぁ、これをわたしに?」
「うん。アルマのおてつだいして、かったの」
「お菓子をくれたひとね! サハクィエル、わたしのために! ありがとう!」
 親友からの贈り物を両手で包み、大切に胸に押し抱く。それでも足りなくて、なんて嬉しいのかしら、とふたたび抱きつくと、サハクィエルがくすぐったそうに身を捩った。
「この姿で行って、みんなびっくりしたでしょう?」
「ううん。ひとのすがたになっていったの」
「まあ! そんなことができるのね! すごいわ、見てみたいわ!」
「こんど、ね。きょうは、つかれちゃった」
「ええ、そうね。わたしのために、とっても頑張ってくれたのだものね。今度、見せてちょうだい」
「うん。あのね、だれもわからなかったの。ぼく、ひとじゃないって」
「そんなに完璧に変身できたのね!」
「そう、かんぺき」
 得意気に、たてがみの流れる長い首を伸ばす。
「すごいわ、サハクィエル!」
 まったく別の種であるにもかかわらず、仲良く笑いあうひとりと一匹に、執事もようやく息をつくらしい。くすり、と笑って、
「お友だちのお茶を用意してまいります」
「そうね。お願い。あぁ、でもちょっとだけぬるくしてあげてね」
 静かに微笑みながら頷く執事に、サハクィエルもまだ少し強張っていた身体の力を抜いた。そして、さっそく金色の髪に飾りをつけるマリーを眩しそうに見つめる。
「どうかしら。似合うかしら」
「うん。にあう」
「ありがとう、サハクィエル!」
 マリーが輝くように微笑むと、それを見たサハクィエルの真白い耳も嬉しそうに動いた。
「おかし、いっしょにたべる」
「まぁ、嬉しい。とっても美味しそうな匂いがしていたから、お腹がすいていたの!」
「りんごのおかし、おいしいよ。これひとつで、まるいおかねがふたつなの」
「お菓子をつくって、売ったのだったわね! ねえ、そのお話もぜひ聞きたいわ!」
 
 
 おなじころ。細い路地にある林檎の菓子のいい匂いに満ちた家へと、仕事に出ていた家の主が帰宅し、ふと蝋燭の明かりの届かない薄暗いあたりに輝くものを見つけて、忙しそうに夕食の支度をしている妻へと声をかけた。
「アルマ。あれは……なんだい」
 よく見ると、戸棚の一番上に丁寧に飾られているものは、羽根のかたちをしている。それが、やさしく発光しているのだ。
 羽根は、まるで金剛石を伸ばしたかのように、真白く強い輝きを内包している。こんなものは、これまで一度だって見たことがなかった。
 すると、妻のアルマは、
「綺麗だろう」
 とひどくやさしい顔をして言う。それは、一番下の子が生まれたときとおなじ顔だった。
「その羽根は、かわいい坊やがくれたものだよ。おかあさんみたい、と笑ってくれてね」
「坊や? どこの子どもだい」
「森の主様のお子だよ。人の姿を借りて、市場に買い物に来たのさ」
「ヌ……シ、ってなにを言っているんだい。冗談を」
 昔から、森には森とその傍にあるこの町を守り豊かさを齎す主がいるという言い伝えがある。その主は、飛翔する姿が流星にもたとえられる天空に属する竜、美しくもおそろしいリンドブルムだという。
 とはいえ、実際その姿を見たものはいないのだから、ほんとうにその存在を信じるものは多くない。
 だが、アルマはおおきな身体を揺すって豪快に笑った。
「それがとんでもなく可愛い子でね。耳がね、こう、ぴょこんっと! それに、林檎の皮を剥く姿がほんとうに一生懸命でね。可愛かったねぇ」
 言いながら、ぽかんと口をあけてこちらを見つめる夫の肩を笑って叩く。それから、お父さんが帰ってきたから夕食だよ、と子どもたちを呼びやった。その呼び声にばたばたと駆け寄ってくる子どもたちを、やさしいが豪快な仕草で食卓へとつかせ、湯気の上がる鍋を食卓の中央へ運ぶ。
 そして最後に自分が食卓につくとき、ふとサハクィエルという呼び名のリンドブルムの子どもが置いていった戸棚の上の羽根に目がいった。
 贈り物は喜んでもらえただろうか。あれだけ頑張ったのだから、喜んでもらえたに違いはないけれど。
 しあわせな光を放つ羽根を見つめながら、そんなふうにアルマは微笑んだのだった。
 
クリスマスに玲那さんからふたりのイラストをいただきました♪ ありがとうございますv
 

Cassiel様の玲那さんへ捧げますv
獣耳のちいさい子ががんばるお話か執事のお話、ということで……このようにしてみました。
書きます、といってからだいぶお時間をいただいてしまい、申し訳ありませんですぅ;
サハクィエルは、エンデと同種のちいさい子です。
ピュアな感じに書けているといいのですが……
玲那さん、ありがとうございましたv    2009.9.23
 
 
 
   

 

 

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