鏡は冷たく、媚薬は甘く
 
 
 
 
 鏡よ鏡よ、鏡さん。
 
 呼びかける声音と、溜息が重なる。
 白く曇った鏡のむこう。
 そこにあるわたしの顔は、
 さあ、どんな。
 
 
 
 部屋のなかは、とろけるほどの甘い香り。
 閉めきった窓掛けの隙間からは、すでに朝の清浄な白い光が差し込んでいた。
「……だめだわ」
 そう、部屋を甘い香りのなかに沈めた少女は、なかば呆然とつぶやく。
 下ろしたばかりの白い前掛けは、すでに暗い茶色に染まっていた。
 やわらかい髪からは、邪魔にならないように飾り気のないピンで留めていたというのに、どうしてだか部屋を包むものとおなじ匂いがする。
 手もとを見下ろす瞳には、そろそろ涙が溢れようとしていた。
 何度も何度も、手本を読み、練習をくりかえしてきたというのに。
 
『なんて、歪なかたち』
 
 鏡が嗤う。
 それに、ほんとうだわ、とくちびるに諦めの色を滲ませた。
 これじゃあまるで、わたしのよう。
 
『それじゃあ、となりの家の子は喜ばないわ』
 
 また鏡が嗤う。
 それに、わかっているわ、とくちびるから溜息をこぼす。
 彼はみんなに愛されているもの。
 
『それなら、諦めてしまえばいい』
 
 鏡が冷たく突き放す。
 それでも、と言ったくちびるが、震えた。
 どうしても伝えたいの。
 高望みなんて、していないのよ。
 はじめから、無理だとわかっているの。
 でもね。
 美人でもなければ、賢くもない、
 うつむいてばかりのこんなわたしに、彼だけはいつも変わらず笑いかけてくれるの。
 それが、とてもうれしいから。
 ほんとうに、うれしいから。
 だから。
 
『だったら、さっさと行きなさい』
 
 また鏡が冷たく突き放す。
 くちびるは、なにも返さなかった。
 どうしようもなく、身体が震える。
 歪なそれを綺麗な色の包み紙と花で飾るための手指が、寒くもないのに、震えた。
 心臓が早鐘のようで、いまにも倒れてしまいそうだった。
 ひどい眩暈のなか、仕上げたそれを鞄のなかに、そっとしまう。
 
 
 
 鏡よ鏡よ、鏡さん。
 
 呼びかける声音と、溜息が重なる。
 白く曇った鏡のむこう。
 そこにあるわたしの顔は、
 まるで、蕩けるチョコレート。
 
 
 かたちは歪でも、ひと口ためしてごらんなさい。
 広がる世界は、きっと甘いわ。
 それが、媚薬というものよ。
 
 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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