こんないはいつものこと
 
 
 青白い月が見下ろす、夜闇の古い街。
 革とシフォンの裾は夜気を流れ、ブーツの踵が石畳に落ちる青い影を踏む。
 人々の多くは眠りのなかにあり、どこの窓からも明かりは零れてはいなかった。
 そのような中、闇をものともせずに歩むこちらを、重たげな石造りの建造物の上から不気味な姿のガーゴイルが黙って見下ろしている。
 いまにも動き出しそうなその彫刻を極上の青石と見紛う双眸で一瞥し、形のよいくちびるにうっすらと笑みを刷きつつアッシュピンクのやわらかな髪を揺らすのは、黒い衣装を纏う美しい女だった。
 真夜中に若く瑞々しい女が徘徊するなどふしだらな、となにも知らずこの街に眠る者たちならば眉を顰めるだろう。
 とはいえ、もしもそう正面から責められたとしても、女は一向に意に介さない。
 なぜならそれが、『彼女』だからだ。
 娼婦などではない。
 しなやかに整った身体の線を惜しげもなく出すような衣装を纏い、薄紅色のくちびるに甘い笑みを浮かべていようとも、女はその月光を浴びて青白く輝く真珠の肌を金に捧げることはない。
 美しく編み上げたコルセットのくびれた腰には、瀟洒な装飾が施された細身の長剣が下がっていた。
 
「良い夜ね。裸で甘く生温かい男の血を浴びたくなるわ。ねぇ、そうは思わない?」
 
 不意に聞こえた陶然と震える鈴の音の声音に、それまで矢車草の青であった女の瞳の色が、唐突に鳩の血色へと移ろう。
「それは贅沢だな」
 答えつつ、女は真紅の双眸で闇の向こうを見据えた。
「ふふ、そうでしょう。さらなる美しさを得るためには、贅沢を惜しんではいけないわ。そして、美しい女になにもかもを捧げることが、男たちの贅沢というものだわ」
 返る楽しげな声を、しかし女は鼻で嗤う。
「だが、おまえはいくら血を浴びたところで、無駄だと思うぞ? どれだけ上辺を塗りたくっても、おまえが醜悪であることは隠しきれない」
「……なんですって」
「無駄な血を流し、あまつさえ下賤なケダモノのようにそれを浴びるなど、あまりに品がないな。あの屋根の上にいる醜いガーゴイルでさえ、そんな愚行はしないだろうよ」
「この美しい私が醜悪だなんて、あなたの瞳は汚れ曇っているのね。そんなあなたに品格を問われるだなんて、屈辱だわ」
「ならば、臭くて暗い穴の中に戻ってうじうじと拗ねていろ、クソ魔女」
「……いいかげん、口のきき方を学んではどうかしら。細かく切り刻んでやりたくなる……っ!」
「残念だが、わたしは淑女の真似ごとをするつもりなどないからな。遠慮なく返り討ちにしてやる」
 言いつつ、真紅の瞳の女はすらと腰に佩いた剣を鞘から抜き、澄んだ刃を月光のなかに晒した。
 
 
 
(元拍手お礼画面用の短文でした……)
 
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