「それで」
 浮かれた心と緩んだ頬を引きしめるためにひとつ咳払いをしたあと、くすくす笑うルーを横目に見ながらジュリアンはぬるくなった紅茶に口をつける。
「それで、おまえの本音はなんだよ。告白、するんだろう?」
 告白は本音でないと意味を持たないぜ、と穏やかに諭すように言うと、ふ、と呆れたのか諦めたのか、ルーがかたちの良いくちびるから吐息のような笑みをこぼした。それからセシルの手を取ったまま、彼の背後から移動してその隣りへと座る。
 いつの間に置いていたのか、老翁のまえに置かれた白い錠剤が入った薬瓶を、細く優美な手指でそっと触れ、
「……腐っても、司祭か」
 と、そう呟くように言われた言葉に、なんだそれは、と思ったものの、ここでまた口喧嘩になっては本音を聞き損ねるだろうと、開きそうになるくちびるをぐっと引き結んだ。しかし、その後なかなか口を開こうとしないルーに焦れ、
「おまえが……人間を餌や玩具としか見ていないというのは、嘘だろう」
 ちいさく息を吐きつつ訊ねる。すると、矢車草の青の双眸が、すい、と細められた。
 煙るような長い睫毛が真白い頬に影を落として、揺れる。
「嘘などではない。そう思っていたさ、昔は。いまは、まぁ、それほどでもないが」
「素直じゃないな、おまえ」
 ああ嘘だ、と言い切られるとは思ってもいなかったが、瞳を逸らして言われたその言葉に思わず苦笑する。そうしながらも、そうして苦笑している自分に気付き、さらにくちびるを歪めた。
 相手は人間ではなく、吸血鬼(ヴァンピル)という魔物だというのに。
 自分は祓魔師であるというのに。
 それなのに、美しいこの魔物に夢でも見ているとでもいうのか。
 人間を愛しているのだ、と言わせたいだなんて。
 よりによって魔物に、気を許すなんて。
「ルーは僕のまえでは素直だよ」
 にこやかに惚気た老翁の言葉に、惚気るな、と言ってやろうと思いながらも歪んだままのくちびるが動かなかった。
 こちらを見つめてくる、愛する者をひたすらに信じる曇り空の色をした瞳は、あまりにもまっすぐで。
 また記憶の底から胸に溢れてきそうなものを、ぐ、と拳を握って堪えなくてはならなかったのだ。
 あぁ、なんて。
 なんて自分は、弱いのか。
 この目のまえの弱々しく枯れた身体を持つ老翁のほうが、はるかに強い。あまりに、大きい。
 こちらの様子に気付いたらしい老翁がわずかに首を傾げるが、それには無言でちいさく笑み返した。
「わたしにとって」
 流れるような声音に視線をそちらにやると、吸血鬼の鋭い牙を隠しているのだろう麗しいくちびるが、わずかに自嘲するかのような笑みに震えた。
「わたしにとって人間は、わたしが生きるために必要な血液を保有する餌だ。それは変えようもない事実。とはいえ、その餌が悦楽を得るためだけで残虐に殺されていくのを見るのは……いい気分ではないな。いかに人間の繁殖力が旺盛とはいえ、数が減ればそれなりにいろんな意味でこちらも痛い目をみる。それに、わたしはセシルや……おまえとも、こうしてお茶を楽しんでいるわけだし。いっそ意思の疎通などできない間柄だったなら放ってもおけたのだが。わたしは、そうだな……おまえたち人間が、ほんのちょっとくらいは……好きなのだろうな」
 好きだ、とそっぽを向いたままで不機嫌そうにつぶやくように言われたその言葉に、ジュリアンはどこか救われたような気持ちになった。だがだからこそ、同時に疑問も浮かぶのだ。
 人間の数が減れば、餌も減る。餌の味を選んでいることなどできなくなる。そして、餌である人間のほうも、悦楽のためだけに数を減らされていること知れば黙ってはいない。たとえ吸血鬼の能力が人間を超えたものであるのだとしても、数で勝る人間に束になって、しかも満足に能力を発揮することのできない昼間に攻められたなら、ひとたまりもないだろう。
 魔物狩り、とはいっても、吸血鬼であるルーは魔物だ。彼女が人間を愛していようが、守っていようが、人間にとっては天敵というべき魔物であることに違いはない。弱い人間には、魔物だということだけでも刃を向けるに十分な理由となる。しかも、自分たちの血を啜る魔物なのだ、セシルのように受け入れるものは少ない。
 川向こうに暮らす町の人間たちが、いい例。
 それは、ルー自身もよくわかっている。
 だというのに。
「だが、クソ魔女は違う。人間のことはただの餌や玩具としか見ていない。昔もいまも、これからも。やつの考えを変えることは……不可能だ。やつはもう遥か昔に、自分以外のなにをも信じることをやめている。誰になにを言われても考えを改めることはない。たとえ、殺されても、だ」
 なぜそんな恐ろしい魔女を野放しにしているのか。
 魔物狩りは暇潰しなのだとはいうが、おのれの首をじんわりと絞めているようなものではないのか。
 なぜだ、と声には出さなかったが、顔には出ていたのか、ふとこちらを見やったルーが眉を下げる。
 どこか、頼りないような表情だった。そして、
「それでもクソ魔女を殺せないのは、そう……わたしの弱さが剣を鈍らせるからだ」
 そう言って、いまにも泣きだしそうに、微笑んだ。
 
 

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