高い靴音が反響する、闇の廊。
 肌を覆う空気が冷たい。だが寒いはずだというのに、背に汗が伝う。
 よくよく目を凝らせば、廊の左右には等間隔で銅像が並べられているらしい。どのような形を模したものなのかは暗闇のためによくはわからなかったが、しかし、そのわきを過ぎるたび、それらの視線を感じるようなそんな錯覚に喉に唾を飲み込んだ。
 闇をものともせず先を行く少女は、先ほどからひとことも発しない。それが、ひどく重々しく感じられた。
 それほどに自分は訊いてはならないことを、訊いたのだろうか。
 
 吸血鬼(ヴァンピル)がなぜ魔物狩りを。
 
 だが、先になぜだと訊いてきたのは相手のほう。なぜ司祭に、しかも祓魔師になどなったのか、と問われたから、こちらもおなじように返しただけだ。
 それでも、この重々しく冷たい空気はただでさえ緊張している身体には酷というものだった。耐えきれずに、闇に溶けてわずかに視認できるだけである少女の背に声を掛けようと、ジュリアンが顔をあげた、
 その瞬間、
「いらっしゃぁぁぁい」
「うわぁぁぁっ?」
 銅像に、腕を掴まれた。
 不意のことに、悲鳴を上げてあとずさるとなにかに足をとられ、情けなくも暗い色に沈む絨毯の上に尻もちをつく。
 すると、とたんにその銅像へと照明が左右から降り注いだ。
 青白い照明のなか現れたのは、銅像ではなく、見覚えのある老翁の姿。
「っ! ジジイっ!」
「おっと、セシル。青い照明を調達したのか」
「そうなんだよねぇ。でもちょっと地味じゃないかと思って、実験してみたんだよ」
「ピンクよりはいいと思うぞ、わたしは」
「そうかなぁ?」
「って、ちょっと待て、俺を放っておいてのんきに会話するなっ!」
「なんだ、ジュリアン。そんなところに座り込んで、どうした。そんなにかまってほしかったのか? もうっ、それならそうと素直に言えばいいのにぃ」
 ふふ、と意地の悪い笑みを浮かべたルーは、見せつけるように老翁セシルの腕を引き、わざわざ寄り添ってみせた。
「それでセシル、菓子はできたか?」
「ああ、できたよ、ルー。フィナンシェを作ったよ。きみの要望通り、黄金色のお菓子だよ」
「ふっふっふ。おぬしもワルよのう」
「なにをおっしゃいますやら。わたくしなどルー様の足もとにも及びますまい。ふぉっふぉっふぉ」
 白く細い手指が老いてかさついた頬を愛しげに撫で、皺が刻まれた瞼の下にある穏やかな目が愛らしくも美しい少女をやさしく見つめる。
 たとえ会話の内容のほとんどがふざけたものであったとしても、そのふたりの間に流れるものはひどく穏やかで、ともすると菓子のように甘いものだった。
 そのようすを目の当たりにして、ちり、とどこかが痛んだような気がするのは、その間には入り込めないと覚ったからであるのか。しかし、それを認めるのも癪であるような気がして、
「……それ、何ごっこだよ」
 じっとりと、ジュリアンは立ち上がり法服の裾を払いながら、目を据わらせた。
「なんだ、ジュリアン。知りたいか? まざりたいのか?」
「全然」
 正直、おもしろくはない。なにがそれほどおもしろくないのかはよくわからないが、おもしろくない。それは確かであったから、声が自然と低くなる。
 しかし、それに気付いているのかいないのか、ルーは華やかな笑い声を上げつつ老翁から離れた。そして、ゆるやかに巻かれたアッシュピンクの髪の先を指先で弄びつつ、
「だが、しばらくはここで身体を休めろ。そのうち、休みたくとも休めなくなるだろうからな。なにせ、あのクソ魔女に目をつけられたんだ。覚悟をしておけ」
「その魔女だが、いったいどういうやつなんだ」
「ちょこっとまえに教えてやっただろう」
「若い美男の苦痛に歪む顔とその生ぬるい血を浴びることが三度の飯よりも好きな魔女、ということしか、俺は聞いていないぞ」
「……じゅうぶんじゃないか」
「どこがだ!」
「まあいい。それ以上に知りたいならば、なかで話してやる」
 に、と。
 凶悪にも見える凄みのある笑みを浮かべた美しい吸血鬼は、ぐ、と手をついた先を押し込んだ。
 腹に響く軋みを上げて開く、重たげな石の扉。
 途端、『棺桶』の冷気が、身体を包んだ。
 
 

   前頁へ サン・シュクレ 目次へ 次頁へ

 

 鳳蝶の森へ

 

inserted by FC2 system