扉は吹き飛ばされ中庭にその残骸が散乱しているものの、教会はふたたび午前の穏やかさを取り戻している。
 しかし、その回廊では穏やかならぬ状態のジュリアンが、気道を圧す毛並みやわらかなきぐるみの腕を苦し紛れに叩きつつ必死で酸素を求めていた。
「ちょ、ま、待て、おま……っ!」
 なにも知らない第三者から見れば、愛らしいきぐるみに抱きかかえられた司祭、というなんとも微笑ましい光景であるのかも知れないが、棺桶行きだ、と告げられた司祭本人にとってこれほどおそろしいものはない。
 中庭でやさしげに微笑む白い神像に、いまほど強く助けてくれと願ったこともない。
「ん? ああ、そうか。なにも言わずにおまえを連れて行くと、立派な犯罪だな。うん、そうだな、正義の味方が誘拐などしてはいけない。面倒だがしかたない」
 きぐるみのなかでぶつぶつと言ったルーは、ジュリアンをそのまま引きずるようにしてずかずかと回廊を進み、礼拝堂へとつづく扉を堂々と開いた。
 毛足はさほど長くないものの上等の絨毯の上に並ぶ、礼拝用の長椅子。正面には緻密な彫りが美しい神像が祀られ、薔薇窓からの色とりどりに染まった光に輝いている。
 ただ祈りの言葉だけがつづく、静かな空間。
 そのなかをルーは無言で突き進む。そして、
「そこのおまえ」
 なまえはなんであったか、礼拝堂でひとり祈りを捧げていたひょろりとした助任司祭のまえ、つまりは神像を遮るかたちで傲慢なようすで立ち、声をかけた。
 当然、目のまえに鼻血を流したままのジュリアンを捕獲したきぐるみが突然現れたことに驚いた助任司祭は、なかば悲鳴のように声を上げる。
「き、吸血美少女っ!」
「おまえもかよ! ってか、どっからどう見てもアヤシイきぐるみだろっ!」
 軽い酸欠状態にも関わらず、思わず叫んだジュリアンだが、さらりと無視された。かわりに、ぐい、とふかふかの腕に引き寄せられてさらに気道が絞まる。
「……ぐ……ぅ……っ」
「見ての通り、わたしとこのジュリアンは相思相愛でな。ともに棺桶に入ろうと、将来を約した仲だ。そういうわけだから、こいつはしばらく借りていく。邪魔は無用だ。これは忠告だ、よく聞け。ひとの恋路を邪魔すると、馬にまわし蹴りされる」
「相思相愛、ですか……わかりました」
 納得するな、この間抜け。
 そうジュリアンは思ったが、言葉は当然、圧迫された喉で塞き止められていて吐き出せない。
「嘘だ」
「ええ、そうでしょうね」
 わかってるなら助けろ、このウスノロ。
 思いはなかなか口にできず、相手にはすこしも伝わらない。このもどかしさはまるで幼い初恋のようでもあるが、そういうわけでは決してない。
「さて問題です。どのあたりが嘘でしょう」
「馬にまわし蹴り、ですね。きっと」
「正解だ。実は、飛び蹴りされるんだ」
「やっぱりそうでしたか」
「そうなのだ」
 こいつら絶対知り合いだ。
 だがそろそろ目も眩み、意識が朦朧としてきた。そう思うところに、
「……ふ……ぇ」
 不意にきぐるみの肩に、腕を掴まれて引きずり上げられる。
「一週間のうちには、返してやる。それまでのあいだ、適当にごまかせ」
「わかりました」
「では、ばいちゃ」
「ばいちゃ」
 にこり、と微笑みながらジュリアンよりも十歳は年上であろう助任司祭は、まるで荷物のように王都から派遣されてきた司祭を担ぐきぐるみに向かって、かわいらしく手を振った。
 ジュリアンのほうはといえば、もう、助けてくれ、とも、なんの冗談だよ、とも言えないほどにきぐるみの肩の上で脱力している。そして、そのままの状態で礼拝堂から外へと連れ出された。
 降り注ぐ、麗らかな陽光。
 ついでとばかりに、通りを行く人々の好奇の目までも注がれる。
 ジュリアンは頬を引き攣らせながらそれらから瞳を逸らし、行儀良く敷き詰められた石畳を見つめた。
 
 ひとの群れのなかにあるべきではない。
 
 胸に突き刺さったままの、ルーの言葉の切っ先。
 甘い血の匂いとやらに惹きつけられて、魔物がやってくる。現に、魔女に目をつけられてしまったらしい。
 ついでに、このきぐるみを着た吸血鬼(ヴァンピル)にも。
 あぁ、とジュリアンは自嘲の溜息を落とす。
 だから、棺桶か。
 それならばどうにでもしろ、と。そう思おうとして、しかし、ジュリアンは自分を嗤った。
「生きることを諦めるか」
「……え」
 不意に、そう問われる。
  諦めるのか、といままさに自身へと問おうとした言葉をそのまま向けられて、言葉を失う。
 まるで心が読めるかのような、間合い。
 まさかそうなのか、と顔を上げてルーを見ようとするものの、しかしくつくつと低い笑み声をもらすルーの美貌はいま犬の被り物のなかで、その表情は知れなかった。だが、
「喜ぶべきことに、いくらわたしでもひとの心のうちにある声までは聞けない。だが、おまえの心を読むなど、容易いことだ。いま……そう思ったのだろう?」
 ふふん、と笑われて、ジュリアンは頬を歪めた。
 嘲るでもない、やわらかな声音で。
 向けられる言葉はこちらを馬鹿にしきったものだというのに、なぜか、それはひどくやさしげに聞こえて。
 ジュリアンは、目のまえにある白くやわらかな毛並みに手指を絡めた。
「俺は……」
「話はあとだ」
 つづけようとした言葉はしかし、うって変わった凛とした言葉に遮られる。そして、
「速度を上げるぞ、ジュリアン。しっかり掴まっていないと……放り出された挙句に地面に叩きつけられて、身体がバラバラになっちゃうぞぉ」
 言葉の最後で、うふふ、とルーはひどく愛らしく笑う。だが、言っている内容は脅し以外のなにものでもない。
 ジュリアンはとっさに、きぐるみの首と肩にしがみついた。
 
 

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