(著:椿 賀舟様)
 
 
 
 夜。闇の中、一人佇む人物がいた。
 黒皮のライダージャケットに黒のパンツ姿というその人物は、腰に一本の日本刀を携えている。温暖化が進んだとはいえ冬の夜は寒く、冷たい風が、後ろで一つにまとめた明るい薄茶色の長い髪を揺らしていた。胸元で光るのは、刹鬼狩の証である銀のタグ。そしてなによりも、整った顔立ちの奥にある彼の瞳の色は、紅。まるでそのものが光を発しそうな紅い瞳が、あるものを映す。それは、廃れた教会だった。
 刹鬼と呼ばれる、人ならざるものが突然現れたあの日以来、人々は神や仏の存在を信じることを止めた。人間をいたぶり、喰い、殺す存在に怯える日々。どれだけ祈ろうとも救いの手を伸ばしてくれるものはなく、神に救いを求めて集う場所であったこの建物は、朽ち果てる一方だった。窓ガラスは割れ、屋根の一部や壁の一部が破壊され、鍵を無くした扉が、風に押されてギイギイと音を立てている。
 それでも、かつての祈りの場に不浄なるものが寄り付くことは許されないのか、まことしやかに囁かれる不穏な噂を確認し、それを処分して欲しいという依頼を、刹鬼狩である彼──東雲は受けた。噂、とは──。
 獣の声が聞こえ、鳥の羽音が聞こえ、何かが地を這う音が聞こえるという。そして、赤紫の影を見たという者も。
 人ならざる存在を全て刹鬼と呼んでいる現在、訳の分からぬ存在の確認もまた、刹鬼狩の仕事のひとつだった。本来ならば、そのような面倒な依頼よりも、刹鬼討伐依頼を好んで受諾する東雲だったが、内容確認をろくにせずに依頼を受けている為、今夜は不本意な仕事を請け負うこととなった。だが、廃れた教会を目の前にして、彼の口の端が上がる。
 首の後ろにチリと痛むような感覚が教えてくれる。ここには、人ではないものが、いる、と。
 刀の柄にそっと手を添え、東雲は壊れた扉を押した。
 
 一歩中へ踏み入ると、外の冷気とは違う冷たさが肌を刺す。間違えば雪でも降りそうなくらいに寒い。異常な冷気を放つのは、赤紫の影だった。
「誰、あなた」
 影は、艶やかな赤紫色の髪をした、女だった。
 この寒さの中にあっては不自然な程の薄着。シンプルな黒いワンピース一枚という姿にも関わらず、寒そうな素振りは微塵も見せない。両の腕と脚には白い包帯が巻かれており、細くしなやかな四肢を隠してはいたが、磁器のように白く美しい肌からは、その辺の男など一瞬で虜にしそうな程の色香を発している。
 が、同時に、簡単に触れることが出来ない雰囲気を醸し出す。それは、細い身体に見合わない程の威圧感。屈強な男でさえも足を竦ませるのは、恐怖の感情。近付けばただではすまない空気を漂わせていた。
 美しく整った顔立ちも、左側は四肢と同じく白い包帯が巻かれていたが、右側に見える黄金の瞳が、射抜くように東雲を見据える。
「私はJを待っているの。Jは何処」
 女が再び声を発した。その声もまた、凛と響く鈴の音のようでいて、心の臓を直接撫でるかのような恐怖心を煽るものでもあった。近付くべきではないことは、東雲自身も感じていた。しかしそのことは、刹鬼を狩ることが楽しみとなっている彼の足を止めることは出来ない。だが、刀を抜くことが出来ずにいた。それは、目の前にあるものが、人の姿をとっていたから。
「Jという奴のことは知らんが、正体を現したらどうだ、刹鬼」
 女はその形の良い眉をひそめる。
「刹鬼? 何のことかしら。意味が分からないわ。それに、正体も何も、これが私の本当の姿よ」
 そう言うと、彼女はその場でくるりと回ってみせた。ワンピースの裾と共に、赤紫色の髪が踊る。
「ふざけるな。お前が人でないことは分かってるんだ」
 東雲は意を決して刀を抜いた。闇の中、スラリと伸びた刀身が現れる。今宵は月の輝く夜。割れたステンドグラスの高窓から洩れる月の光が、彼の愛刀を照らす。何体もの刹鬼を切り裂いた刃が、青白く仄かに光を放つ。
 抜いてもすぐに斬りかかることが出来ないことは、自覚していた。だが、こちらが抜けば、相手もやる気になるだろうと思って抜いた。そしてそれは彼の思惑通りになる。
「なあに、あなた。まさか私を殺す気?」
「当然だ」
 女にわずかながらも殺気が沸き立つ様を見て、東雲は満足気な笑みを浮かべた。その表情に気分を害したのか、黄金の瞳の奥に宿る殺意がさらに膨れ上がる。
「笑わせるわ。この死者の舞踏を殺せるとでも思っているの」
 死者の舞踏。それがこの女の名前らしかった。変わった名だとは思ったが、今から切り伏せる刹鬼の名を知ったところでどうでもいいと、彼は思う。それよりも、人の姿を成していることが彼にとっての問題だった。刀を抜いたものの、このままでは動くことができない。しかしそんな焦りなど表には出さずに、口の端を吊り上げ告げる。
「悪いが、俺は仕事を失敗したことはないんでね」
 彼の台詞と笑みは彼女の神経に触れるのか、この場の空気がさらに冷たくなった気がした。女の怒りが強くなるのは好都合だった。このままいけばいずれは本来の姿を現すだろう。人間の姿を借りることの出来る刹鬼がいる。きっと彼女もそれに違いないのだから。しかし、
「あなた、子供のくせに生意気よ」
 冷気をまとったまま、す、と目を細めて吐く言葉に、東雲の眉がぴくりと動く。
「子供、だと」
「そうよ。五百年以上生きている私からすれば、人間なんてほんの赤ん坊のようなもの。身の程を知らないあなた、一度死んで私の隷属になってみる?」
 艶やかでありながらも禍々しい笑みが、彼女の美しい顔に宿る。五百年。見た目は大して年齢は変わらないように見えるのだが、その言葉がはったりではないと、彼女がまとう殺気を含んだ冷気が告げる。
 子供と言われたことに気分を害した東雲だったが、そういえば、刹鬼が何年生きているのかなど考えたことはなかった。ふと彼と行動を共にしている男のことが脳裏を過ぎる。だがそれはほんの一瞬で、彼女の発した言葉に不快感が募るのを感じていた。
「隷属、だと?」
「そうね。あなたキレイな顔立ちをしているから、大事にしてあげるわ。喜びなさい」
「ふざけるな……!」
 斬るべき存在である刹鬼の奴隷になるなど、考えたくもない。全身を走る不快感を拭うように叫んだ時だった。
「喉と腸を食い破る、残忍なる黒き獣」
 彼女は右腕の包帯を解きながら、うたうように言った。
 白い布の下から現れた黒い刺青が、彼女の言葉に呼応するようにざわざわと動き出し、彼女の白い肌を離れていく。それはひとつの塊となり宙で舞い踊る。
「な……ん……っ」
 東雲の紅い目が驚きに見開かれる。目の前で起こっていることが理解できなかった。刺青そのものが命を持つように蠢くとは、どういうトリックなのか。しかし、淡い光を放つそれが、やがて大型犬程の黒い獣の姿となり、低い唸り声を上げた時、東雲に落ち着きと笑みが戻った。禍々しい程の笑みが。
 わけの分からないマジックのようなものを見せられて驚きはしたが、そこに現れたのは、彼が普段目にしている刹鬼と何ら見た目の変わらない獣。開いた口に涎が筋を作っていようが、それは恐怖の材料とはならない。それがどんな力を持っていようが関係ない。殺意を向けてくる獣ならば、斬るだけ、だ。
 東雲は刀を握り直し、黒い獣に向かって走ろうと足に力を込めた。
「呪文(スペル)。やってしまいなさい」
 女の声に、獣が咆哮した。その時、
「テン!」
 声に、今まさに跳躍しようとした獣の動きが止まる。そして東雲も。
 東雲の動きを止めたのは、銃口だった。黄みの薄い金髪の、緑の瞳をした青年が、手にした銃を東雲に向けていた。引き金に指をかけたその銃口は、間違いなく東雲の後頭部を捉えている。青年はその声に含まれる熱を押さえ込むように、ゆっくりと告げた。
「動くな。動くと、撃つ」
「J。遅いわよ。待ちくたびれ……」
 女の、東雲に向けていた冷たい表情が一転した。磁器のように白い肌が淡く赤みを差し、愛らしい笑顔が浮かぶ。が、
「テン、お前も動くな」
 言われ、女は形の良い眉をひそめる。
「呪文(スペル)は開放するなと言っているだろう」
 その言葉には、女はだだっこのように頬を膨らませ口を尖らせる。
「だってこの男が……」
「黙っていろ」
 そしてついには、彼の言葉にその口をつぐんだ。
 女の、くるくると変わる表情を凝視していた東雲だったが、二人の会話が途切れたところで口を挟む。
「お前がJか」
 突然現れた男のいる方向を見ることなく、東雲は言った。
「お前は……人間だな」
「…………」
 男は無言で応える。別に返答は求めていなかった。彼が人であることは、殺気は放ちながらも、引き金に指をかけたままで銃を撃とうとしないことから判断できた。それに、刹鬼の存在を感じた時にあらわれる首の後ろに感じるチリチリとした痛みは、増えることはなかった。しかしこの女のことを知っている風な彼に、東雲は疑問をぶつける。
「あれは何だ」
 女のことを指して言う東雲の言葉に、Jは眉間を寄せた。あれ、と言ったことに気分を害したのだろうか。Jは苛立ちを含んだ声で答えた。
「お前には関係ない。だが、あいつは、自分から何か仕掛けることはないはずだ。お前、一体あいつに何をした」
 東雲が答えるより早く、発せられる声があった。
「その物騒なものはしまってもらおうか。兄ちゃん」
 突然の声と共に、Jはその動きを封じられていた。彼の日焼けのしていない白い首には、今にも皮膚を切りそうな鍵爪が禍々しい光を放つ。
「その人に死んでもらっては俺様が困るんだよ。人殺しの趣味はねえが、事と次第によっては死んでもらうことになる」
 それは、黒い短髪をピンと逆立てた、眉間に傷のある体格の良い男だった。そのミリタリージャケットを羽織った男の名を、東雲は口にする。数ヶ月前から突然行動を共にすることになった男の名を。
「さび」
「東雲様。こんな所で何やってんスか。俺を置いてくなんて酷いっスよ。探したんですよ」
 東雲に声を掛けられ、さびの雰囲気が一転して砕けたものになる。彼の意識が紅い目の男に移ったことで、Jは動こうとした。が、
「おっと。動くなっつってんだろ」
 再びさびの声が凄みの効いたものに変わる。それは決してはったりなどではなく、本気なのだと、背中から伝わる殺気が示していた。
 隙だらけのようでいて、全く隙を見せないさびに、Jは眉を寄せた。その整った顔には、焦りが見え隠れしている。日本刀を構える紅い目の男、東雲と、自分がテンという名を与えた『死者の舞踏』とを交互に見やる。彼女はJの言った通り、動かずにいる。彼女に逃げろと言ったところで、素直に逃げるという行動を取ってくれないだろうことは簡単に予想できたが、彼の最初の言葉通り動かずにいる彼女のことを確認すると、Jは彼女に動くなと言ったことを後悔しかけた。その時だった。
 呼吸をするのも忘れるくらい緊張する二人に反し、東雲は静かに息を吐くと共に緊張を解いた。そして白刃を鞘に収めると、チンと鉄の擦れる音が沈黙を裂く。意外にも大人しく刀を鞘に収めた彼は、そのままJに声を掛けた。
「これで文句はないか」
「…………」
 緑の瞳が紅い瞳を見詰める。その奥にすでに殺意が消えていることを確認すると、Jは黙って銃をホルスターに収めた。そして彼の行動を見たさびもまた、鍵爪をJの首から外す。シュッという音と共に鍵爪が皮グローブの中に収まり、同時に殺気も消えた。
 三人の男がそれぞれの武器を仕舞った後、黒い獣を横に従えたままの女がようやく口を開いた。
「J、どうしてこんな奴の言うことを聞くの。こんな奴ら私が簡単に……」
「テン、もういい。呪文(スペル)を引っ込めろ」
 彼女はまだ何か言いたげな空気をまとっていたが、しぶしぶと黒い獣に声を掛けた。
「呪文(スペル)、戻りなさい」
 すると、その獣の輪郭がすうと消え、それは再び小さな文字の塊となった。そして彼女が差し出した白い腕を、文字でありながらも意志を持った生き物のように這い上がる。
 その様を目にしたさびの口元から、ひゅうという感嘆の口笛が洩れた。
 と、彼女の細く白い右腕は、再び黒い刺青をまとった姿となった。
「行くぞ。テン」
 呪文(スペル)と呼ばれる獣が完全に姿を消した後、Jは彼女に声を掛けた。
「分かったわ」
 Jの言葉に素直に従い、その場を去ろうと動いた彼女だったが、東雲の横をすり抜ける時に、再び艶やかでありながらも禍々しいほどの笑みを浮かべた。そしてうたうように囁く。
「あなた、命拾いしたわね」
 その声に、東雲は思わず眉をひそめるも、再び刀を抜くことはなかった。
 紅い目と金の目が見送る中、風にギイギイと音を立てる正面扉の隙間をするりと抜けるように、金髪の男と赤紫の髪の女はその場をあとにした。
 
 二人の姿が完全に消えた後、彼らの消えた正面扉を見据えたまま、東雲はさびに声を掛けた。
「あの女、刹鬼だったと思うか」
「さあ。人間じゃないことは明らかですが、俺らともちょっと違うような……」
 腕を組み首を傾げるさびに、東雲は、こもった感情の判断できないような平坦な声で呟く。
「そうか」
「でも男の方は人間でしたね。東雲様、なんであの女を斬らなかったんです?」
 明らかに人間ではなかったのに刀を止めた東雲。本来の彼ならば、それが人ならざるものであると分かっていれば、例え自分の身に危険が及ぼうとも斬りかかって行く。確かにJという男に銃口を向けられてはいたが、その銃弾が己の体を貫いたとしても、刹鬼に向かって行く足は止めることはなかっただろう。それが東雲という男だった。しかし今夜の彼はそうしなかった。Jが現れた後、何か思案するかのように女の表情を見詰め続けていただけだった。
 少しの間の後、彼は簡素にさびの質問に答える。
「別に」
 しかしさびは、こういう東雲の反応に慣れているのか、構わずに一人喋り続ける。
「女は金目で人じゃなくて、男は人間で。何か俺らみたいでしたね、あの二人。あっ」
 そこまで言って、彼はある考えに行き当たる。
「もしかしてだから刀を収めたとか」
 それはふと思い当たった答えだった。女の瞳がさびと同じ黄金であったとこは偶然かもしれないが、それよりも、人でないものと行動を共にしている人間がいることに、さびは親近感を覚えた。そしてさびのその言葉を聞いた東雲の反応を見ようと、彼は東雲の姿を追った。が、その時は既に、それが出来ない位置に東雲の背中があった。
「さっさと行くぞ」
 背中越しに掛けてくる声の中に、彼は東雲の感情を読み取る。
(図星、だな)
 満足気な笑みを浮かべると、後を追い走った。ゴツゴツという二人分のブーツの音が、夜の闇へと消えていった。
 
 
 

夢夜行NakedPlaceさまの椿さんが、素敵なオカルトアクション『刹鬼狩』とグリのコラボ小説を書いてくださいました。
『死者の舞踏』が『刹鬼狩』の主人公東雲サマと出会ったら、刹鬼と間違えられて即斬られそう♪
というお話をしていたような(*´艸`*)
そうしたら、こんなに緊迫感のあるかっこいいお話を書いてくださいました。
大切にさせていただきます、ありがとうございます♪
どことなぁくかわいくてとってもカッコイイ東雲サマが活躍中の『刹鬼狩』、オススメですよw
 
 

 

 

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