秘密のお散歩
じり、と。
ネオンに焼かれた一匹の蛾が、真っ逆さまに落ちる。 しかし、凍て付くアスファルトに叩きつけられるそのほんのてまえで、青白い光のなかに黒く燃え散った翅の残滓が、ふわりとそのちいさく頼りない胴体を包んだ。 ほぼ同時に、淀んで生臭い空気が揺れた。 人気のない、ほかから切り取られたかのような静けさで満たされるその空間に、不思議な色が流れる。 光沢のある、鮮やかな赤紫。 絹糸のような長いそれが、ふわり、と宙を流れて通り過ぎると、焼き殺されたはずの蛾が翅を取り戻し、ふたたび光を目指して舞い上がった。 生ぬるいような風が、あたりをゆるやかに撫でている。 それは、闇を抱えて金色に輝く風。 通常では沸き起こるはずもない風だ。 そしてそのなかに、くすくす笑う声が混じった。 「このわたしが呼び戻すのに苦労するくらいの、念の入れようだわ」 聞くものの耳を甘くくすぐり、深い闇の底に誘う声音。 魅惑的な笑みを刷く薄紅色のくちびるが紡いだ言葉は、不満げでありながらどこか楽しげでもあった。 「あなた、ずいぶんと嫌われたものね」 くすくす、と女はまた笑みをこぼす。 その、足もとに。 奥まった倉庫の脇にできた、赤黒い水溜り。 そこから生えた、爪の剥がれた人間の手指に向かって。 砕けた骨がどろりと融けた肉のなかに見え隠れしているその手指の持ち主は、死んでから、いや、殺されてから数時間といったところだろうか。 だというのに、まだこれほどにしか再生できない。 ずいぶんと徹底して溶解させられたものだ。 「いい趣味だわ、あの女(ひと)」 積み上げられた木箱の上に腰をかけた女は、胸に垂れる艶やかな赤紫の長い髪の先を、細い指先に巻きつけもてあそびつつ、歌うように言う。 しなやかでありながらも妖艶な肉体を持った、恐ろしいほどに美しい女だった。 だが、楚々とした印象は欠片ほども持たない。むしろ、その美貌は人ならぬものが持つ禍々しさを放っていた。 羽根扇のような睫毛が縁取るくっきりとかたちの良い双眸が、闇のなかで炯々と金色に輝いている。 まともに見据えられたなら、一瞬で魂を奪われてしまうだろうと思わせる、惹かれながらも恐れずにはいられない瞳だ。 その瞳をゆるりと細めた女は、握っている包帯ごと、笑みに歪む口もとへと優美な手指を持っていく。 「おまえと食性がおなじね、スペル」 血溜まりで蠢くものとは別の何者かへと、声をかけた。 その声に答えるように、星の光ひとつない漆黒の空で、猛禽のものと思わしき鳴き声が甲高く尾を引く。 「それならなんだか、わかるような気がするわ」 だっておまえはわたしだもの。 そのおまえに似ているのなら、あの女(ひと)の言葉がすこしくらいはわかりそう。 もしもすこしでもわかったなら、もっと楽しいわ。 ひとり、そうつぶやいた女は、氷雪の肌をわずかに透かせる黒いワンピースの裾からすらりと伸びた右足を、すい、と血溜まりのそれへと向かって差し伸べた。 怪我をしているようすもないのに、足に巻きつけられた包帯。 それに、骨が覗くおぞましい手指が触れようとした。 だが、 「勘違いしないで。助けるつもりなんて、ないわよ?」 甘く残酷に嗤い、女は汚れた手指から逃れる。そして、 ぐしゃり。 血に塗れた頭蓋を、踏みつけた。 風がぴたりと止み、急激に気温が下がる。 音を立てて、血溜まりが凍った。 頭上のネオンがいくつか割れて、破片を降らせる。 熱を奪われた破片に深々と貫かれて、今度こそ動かなくなる、蛾。 ふぅ、と白い息を吹く女の金の双眸が、凍えながら燃えていた。 「もう、用はないわ。塵になって失せなさい」 そう、笑みの消えたくちびるで、命じる。 とたん、命じられたそれは砂塵と化した。 渦を巻き、内側から解(ほど)けるようにしてかたちを崩し、周囲の血色をした氷とともに夜気のなかに散る。 残ったのは血の生臭さが消えた夜闇と、女。 女はしばらくその場に残り、黙したまま金の瞳を光らせていたが、ふ、と思い出したように瞬いた。 部屋から抜け出してどのくらいの時間が経っているのだろう、と気になったのだ。 この町には男の仕事で訪れていた。借りた部屋から出るな、としつこいほどに言われていたのだが、男の帰りを待つのは退屈で、そしてそれがすこし寂しかったのだ。 その寂しさが、数時間前に出会ったおかしな人間への興味を増した。だから、ここにやってきたのだ。 だが、はやく部屋に戻らないと男が帰ってきてしまう。 抜け出した理由を訊かれては面倒だ。 知られるわけには、いかない。 「帰るわよ、スペル」 そう、不思議な色の髪を揺らしつつ空へ向けて言った女だったが、しかし、ふと幼子(おさなご)のように眉を寄せた。 ゆっくりと視線をめぐらせる。 やがて女は、木箱の上に立ち上がったままくちびるを尖らせ、小首を傾げた。 帰り道が、わからなかった。 ようやく部屋にたどりついたころには、靄に包まれた町を見下ろす空は白んでいた。
美しい顔の左半分に包帯を巻きなおした女は、音を立ててしまわないよう細心の注意を払って錆の浮いた外階段を上がり、扉を開く。しかし、 「きゃっ」 そこで思わずちいさな悲鳴を上げた。 男が立っていたのだ。 いま帰ったばかり、とはとても思えないようすで。 とっさに扉の陰に引っ込んだ女は、ゆっくりとばつが悪そうな表情をつくった顔だけを覗かせる。そして、腕組みをして壁に寄りかかり、眉を寄せてこちらを軽く睨んでいる男に向かって、 「あら、J。帰っていたの?」 ぬけぬけと言った。 Jと呼ばれた若い稼ぎ屋は、それを聞くとちいさく溜息をつく。 「……どこへ行って、なにをしていた」 静かだが不機嫌な、声音。 「散歩よ。でも、道に迷って遅くなってしまったわ」 それは嘘ではない。ただ、ほんのすこし正確ではないだけだ。 女は確かに道に迷った。だが、スペルは来た道を覚えていたのだ。それでも時間がかかったのは、歩き疲れた女が途中で何度も座り込んでいたからである。 とはいえそれは、Jが欲しかった答えでもなかった。 「部屋でおとなしくしていろ、と言わなかったか」 「おとなしくしていたわ。しばらくは」 腕組みを解かないまま責められて、女はくちびるを軽く尖らせる。 「俺が戻るまで待っていろ、と言ったはずだ」 「待っていたわ。しばらくは」 しがみつくようにして掴んだ扉を、わざと軋ませた。 「ふらふらと外に出たりするな、とも言っただろう」 「ねぇ、J。寒いわ。なかに入れて」 寒空の下だというのに生地の薄いワンピース一枚きりの女は、片腕でおのれの細い肩を抱くようにしてちいさく震えてみせる。 しかし、実のところはすこしも寒くなどなかった。これまで、それこそ気が遠くなるほどの光陰閉じ込められていた場所は、もっとずっと寒かったのだ。それを思えば、この程度の気温などなんでもない。 お願い、と上目遣いで見つめると、Jは深々と溜息をついた。黄みの薄い金色の髪が、ちいさく揺れる。 普段、この男にその程度の甘えは通用しない。だがいいかげん扉の前を陣取ることに飽きていたのか、Jはそっけないほどにあっさりともたれていた壁から離れ、薄暗い部屋の奥へと歩いていった。 女はするりと部屋のなかへと滑り込み、後ろ手に扉を閉める。 そっと手を伸ばして触れた壁が、温かかった。 ずいぶん長いあいだ、Jはここで待っていたのだろう。もしかすると、外にも何度か探しに出たかも知れない。 女は口もとに笑みを浮かべると、ふわふわと宙を歩むような足取りでJのあとを追う。 「もしかして、わたしがいなくて寂しかった? 寂しかったでしょう、J。だからそんなに機嫌が悪いのだわ」 「……別に悪くない」 「あら。悪いじゃないの」 まわりこんで、顔を覗き込むようにJの足を止めると、そっと指先で頬をつついてやる。 Jは無言で眉を寄せた。 オリーブ色の双眸で、じっと女を見下ろす。 女はくすぐったくなって笑みをこぼした。 銃の扱い以外、特に心のうちについては不器用らしいJの瞳は、ゴミ溜めのように汚れた町のなかにあるというのに、思いがけないほどに澄んでいてまっすぐだ。 それがいまは自分だけを映しているのかと思うと、ひどく嬉しかった。 だが、 「……あの鳥を出したのか」 呆れたように言われて、とっさに顔の包帯へと手指をやる。そのさまを見て、やっぱり、とJは溜息を吐きつつ瞳を逸らしてしまった。 「道案内をさせただけよ。別に誰の目も食べさせていないわ」 「あたりまえだ」 きっぱりと言われて膨れ面をした女だったが、ふとJがホルスターを腰に下げたままであることに気付く。 「また出かけるの? もしかして、お仕事は失敗だったのかしら、稼ぎ屋さん?」 からかうように言うと、Jは女の腕を解いて椅子にひっかけていたオリーブドラブのコートに手を伸ばした。 「いや、ひとつは終わらせた」 「もうひとつの依頼は、どんな内容なの」 Jがコートを取り上げるよりも先に、ぐ、とそれを椅子に押さえつけた女は、一転して不機嫌に染めた瞳を向ける。 Jがふたたび溜息をついた。 「人捜しだ。仕事仲間を殺して逃げているらしい。このあたりで目撃情報があったからと、先の仕事の報告にいったついでに、周旋屋から頼まれた」 「どんな人間なの」 「知ってどうする」 「どうもしないわ。それとも、なにかして欲しいのかしら。稼ぎ屋の仕事を手伝って欲しい、とあなたが泣いて頼むのなら、手伝ってあげないこともないわよ?」 「……おまえに頼むと、死体の山ができそうだな」 「あら。違うわ。死体の山が動くのよ」 どちらもご免だ、とばかりに首を振ったJが、女の手からコートをするりと引き抜く。 コートを奪われた手指の隙間が、冷えた。 そのせいで、急に寂しくなる。 空(から)の椅子を掴む自分の手指を見下ろしながら、ひとつ、ゆっくりと瞬きをした。 「Jは……わたしを欲しがらないわね」 ちいさく、つぶやく。 するとコートに袖を通す途中のJが、動きを止めた。中途半端に腕を浮かせて、眉根を寄せている。 「…………なに」 「あなたはわたしの力を欲しがらないわ。教会も魔術士たちも、わたしを必死になって探しているのに」 あぁ、と言葉の意味を理解したJは気のない返事をして、袖を通しきった。 「死体が踊っても嬉しくともなんともないからな」 「失ったものを取り戻したいと思ったことはないの?」 「……さあな。忘れた」 「わたしがいなくなったら?」 「近々いなくなる予定があるのか」 淡々とした口調で問われて、無性に悲しくなった。 ほかにいくところなど、どこにもない。 たとえあったのだとしても、そのつもりはない。 けれど、この男は自分の父親でもなければ主でもない上に、自分が持つ力を必要とはしていない。 「……いなくなってほしい?」 Jは腕利きの稼ぎ屋だ。けれど、彼の暮らす陰鬱としたゴミ溜めのような町で誰かの面倒をみるということは、おのれの首をおのれで絞めるようなもの。腹を痛めて生んだ子どもさえ捨てる者が多いのだ、寒空の下、暗い路地裏で襤褸に包まって寝るつもりがないのなら、自分で稼ぐことのできない厄介者など、さっさと放り出してしまうほうがいいに決まっている。 だが、 「それは困る」 「えっ?」 思いがけずきっぱりと言われて、女のほうが瞳をまるくしてしまった。 しかしそれも一瞬のことで、女はすぐにじとりと瞳を据わらせることになる。 「ひとがいないと、部屋が寒くなる」 「え」 「おかげできょうは、帰ったら寒かった」 「……ねえ、J」 「なんだ」 「それは、本気で言っているの?」 周囲の空気が冷えて、ちり、と指先で闇が鳴った。 悲しみが怒りにすり変わり、目の奥が熱くなる。 拳を握ると、とがった爪がてのひらに食い込んだ。 「本気で、言っているの?」 怒りを込めて、重ねて問う。 「だったらわたし、ほかの人間のところに行くわよ? わたしを欲しがる人間なんて、探せばいくらでもいるわ」 情けなく声が震えて、うつむく。 そんなもの、探すつもりもないというのに。 だからこそ、たまらなく悔しかった。 「……テン」 ふと、その名で呼ばれたのは、そのときだ。 Jは滅多にひとをなまえで呼ばない。彼が女につけたその名すら、ほとんど口にしない。 睨み付けるようにして見上げると、オリーブ色の瞳が困惑に染まっていた。 「…………冗談、だ」 「なんですって」 「本気で言ったわけじゃない。だから、そんなに怒るな」 「怒るわ! 怒るに決まっているでしょう! 寂しいなら、寂しい、って素直に言えばいいじゃないの!」 思わず、自分のことは棚に上げてそんなふうに言ってしまう。だが、その言葉にJは、ぐ、と詰まった。 そして、じっとこちらを見下ろしたまま、固まる。 「わたしがほかの人間に所有されてもいいの?」 急かすように、言った。 「わたしが誰かのものになったなら、まっさきにあなたを呪うわよ?」 なかなか言葉に出さない相手に焦れてさらに言うと、ふ、と薄闇のなかでちいさくJが笑う。 こちらには見えていないだろうと思っているのだろうが、女の瞳は闇のなかでもよく見えるのだ。 Jは、確かに笑っていた。 それはひどくやさしいもので、ついいままで自分のなかにあった怒りが、たったそれだけで嘘のように消えていくのが女にはわかった。 なにがおかしいのだろう、と思う。 けれどそれを口にすると、とたんにJは笑みを消すだろうことはわかった。だから、女は首を傾げるだけにとどめる。 「俺を呪うのは構わないが……おまえは、誰にも所有されるな。おまえは物じゃないんだ」 なにを笑っているのかはわからなかったが、やさしい声音でそう言い聞かされて、なぜかひどく嬉しくなった。胸の奥が温かくなって、いまにも溢れ出しそうだ。 「だから別に、俺の言うことが聞けないなら、それも仕方ない。ただ……待っていると思うから、なにがあっても帰ろうという気には、なる」 待つという行為は、必ず来るということを前提としている。
待たせるという行為は、必ず待っているということを前提としている。 そういう暗黙の了解が成立するのは、多少なりとも信頼関係が必要なものさ。 ふと、数時間前に出会った女が言っていた言葉を、思い出す。思い出して、くちびるに笑みを刷いた。
「それでも、どうしても待っていられないなら……」 一緒にくるか、と言葉には出さず視線だけで問われて、女はゆるく首を振る。 「あなたが一緒に行って欲しいのなら、どこへでもついていく。でも、待っていてほしいのなら、待っていてあげることにするわ。それって、信頼関係なんでしょう?」 「……は?」 「でも、ついでだから教えてあげるわ。仕事仲間を殺して逃げている男を探す、というその依頼。それは、断ったほうがいいわよ? 時間と労力の無駄だわ」 くすくす笑って、どういう意味だ、と眉を寄せるJの腕にすっかり機嫌を良くした女は纏わりつく。 「その男はね、綺麗な小鳥の餌を横から奪ってしまったから、怒りをかったの。すこし前に殺されてしまったわ。屍だって、もう見つからない。探すだけ無駄よ」 「……なにを、知っている」 「わたしが知っているのは、それだけだわ」 「綺麗な小鳥、というのはなんだ。誰のことだ」 「だめよ、J。その小鳥を探しては。きっと、あなたの手には負えないわ」 「なぜそう思う」 「だってあなた、美人には甘いでしょう? 綺麗な声で囀(さえず)られたなら、眼球のひとつやふたつ、簡単にあげてしまいそうだわ」 顔を覗き込んでからかうように言うと、Jのかたちの良い眉がさらにきつく寄せられた。 「眼球? ふたつしかないから、簡単にはやらないが」 そういう問題ではないが、それでも、数時間前に出会ったその眼球喰らいの綺麗な小鳥にJを近づける気など、女には毛ほどもない。 あの女は、危険だ。 目のまえにいるものが人間ではないと覚っていながらに、平然と笑い、平然とこの金の瞳を見つめていた。 だからこそJに近づけるわけには、いかない。 「そうね、その瞳はわたしだけのものだものね」 「……いまにも喰いそうな言い方だな」 「あら、だめ?」 「目が痛いから、やめろ」 溜息混じりに言ったJが、一度は着たコートを脱ぎはじめる。 「出かけないの?」 「ああ。おまえがやめたほうがいいと言うなら、たぶん、やめたほうがいい」 ホルスターをテーブルの上に置いたJに、どっと疲れが押し寄せるのがわかった。 その背に、すこしも眠くない女はしがみついた。 「じゃあ、きょうはずっと一緒にいられるわね」 「……そう、だな」 こく、と眠たげにうなずくそのさまがまるで子どものようで、女はしがみつく背に笑みをこぼした。 誰に渡すつもりもない、たったひとりの人間。 「だいじょうぶよ、J。目が覚めたとき、ちゃんとそばにいてあげるわ。そしてほかの誰でもない、わたしだけを、その綺麗な瞳に映してちょうだい」 遠くに、浮かれた笛の音と人間の笑み声を聞く。
「暢気なものね。でも、いまは忘れるといいわ。いずれ訪れる死など忘れて、短い時のなかで歌い踊ればいい」 安宿の屋根の上。 高みからごみごみとした人間の世界を見下ろして、ひやり、と女は禍々しく笑った。 その顔の左に包帯は巻かれていない。 『眼(まなこ)を啄む、強欲なる青き鳥』と、本来なら忌まわしき闇の書に記される呪文(スペル)は、いま、女の細い肩の上に優雅にとまっていた。 女とおなじ暗く輝く金の瞳を、じっと騒がしい方へと向けている。 「ねえ、スペル。あの綺麗な小鳥はいつごろこの瞳を食べにくるかしら。いつになったら、わたしの瞳は食べたくなるほどのものになるかしら」 スペルは答えない。 女はひとりで笑った。 「でも、そう簡単には食べられてあげないけれど」 なぜならこの金の双眸は、表題(なまえ)だ。 この身体を、この声を、この思いを。 ここにいる女のすべてを表すものだ。 それを奪われたなら、Jに関する記録(きおく)をも奪われてしまう。 奪われるわけにはいかない。 それを失えば、自分はただの物に成り果てる。 けれどあの女が表題を喰らいにやってくることは、楽しみだった。 なぜなら、そのとき。 そのとききっと自分は、『テン』としてJに愛される人生を送っているはずだから。 「踊りましょうか、わたしも」 冷たい棺(はこ)のなかから救い上げてくれた人間がいた。 自分を物として所有するのではない、愛しい人間。 ただの物には、なりたくない。 ただひとりに愛される者に、なりたい。 「楽しみにしていて、『博士(ドクター)』」
あなたが食べたい瞳に、なってみせるわ。
そうつぶやいて、女はまた笑った。 |