<2>
 
 身体は、じりじりと焼けるように熱い。
 けれどいまは指先ひとつ動かせそうになかった。よくあの風圧のなか竜の背に掴まっていられたものだ、といまさらながらに思う。
 熱風に煽られて、肺が焼け爛れていきそうだ。それでも、
 ……ユリシス。
 ここにはいない妹を、思う。
 なんとしても生きて帰らなくてはならない。
 どれほどに襤褸(ぼろ)のようになったとしても、たとえこの身体が半分に千切れ飛んでしまったのだとしても。
 動かなくとも、動かなくては。
 無理に身体を動かそうとすると、ひゅ、と焼けた息が漏れた。
 すると、不意に視界に黒いものが映り込む。
「……っ!」
 よもや狩り損ねた黒い化け物か、と咄嗟に身体を強張らせたゼフィルスだったが、
「しぶといなぁ、生きてやがったか」
 笑みを含んだような呆れ声が降り注いだ後、ひょい、とひとくせもふたくせもありそうな笑みを浮かべた男の顔が現れて、声も出せないまま瞠目した。しかしすぐに、黒い化け物ではないなら盗賊かなにかか、と指先に触れている金属、おそらくはさきほどまで自分が握っていた剣だろうそれに、意識を向ける。すると、
「動こうとするんじゃねえよ。馬鹿なの?」
 指先で額を弾かれて、ゼフィルスは肺に残っていた焼けた息を吐き出すとともに脱力した。
 それを見て喉の奥で笑ったらしい男は、濡れたように輝く葡萄色の瞳でこちらを見下ろしてくる。どこかしら冷ややかにじっと観察されて、湧き上がった不快さに視線だけでも相手を押し退けるように睨み返した。
 日に焼けたような浅黒い肌に、漆黒の髪。どこか粗雑で軽薄そうな印象も感じさせる厭らしい笑みを浮かべてはいるが、整った男の顔立ちは研いだ刃のような鋭さも感じさせる。
 こんな場所に自分たち以外の人間がなぜ、と思うゼフィルスだったが、しかしすぐに男の漆黒の髪の隙間から出た耳の先が尖っていることに気付き、眉をひそめた。
「……エル、フ……?」
 一見人間と変わらない容姿をしてはいる男ではあるが、人間ではなく、このカタリナクレアの傍にあるという深い森に棲むというエルフ族ではないか、と思い当たったのだ。
 エルフ族は、人よりもずっと長い命と、一様に金かそれに近い銀の髪と青白いほどに白い肌の冷たい美貌を持ち、隔たりと不変を好む魔法族。
 男の容姿はよく耳にするエルフのそれではないが、尖った耳はエルフ族の特徴のひとつでもあるのだ。もちろんほかの種族という可能性もあるが、確か、竜の話のなかにも『黒いエルフ』という言葉が出てきたはずだ、この男がそうなのかも知れない。
 それに、ぼんやりとではあるが男をとりまくように冷やりとした魔力の気配がするのだ。
 この男がエルフなのだとしたら。
 あの儚く美しかった母を生み育てた種族の、そのうちのひとりなのだとしたら。
 そう思い、ふとつぶやくように口にしたのだが、途端に男は厭そうに顔を歪めた。
「なんでわかった……?」
 軽い力ではあったが突然顎を掴まれて、ゼフィルスは痛みに顔を歪める。真正面から双眸を覗き込まれて、じわりと汗が滲んだ。
「血を吸って埃と泥でくっそ汚れちゃいるが、元は白い騎士装束に、武具にゃレイアンセルムの国章。髪は……これは、金を帯びた銀色、か。で? 瞳の色が……」
 瞳の色が、と言いかけた男から、不意に怒気のような殺気のようなものが沸き上がった。
 白い竜からも変わった色だと言われたゼフィルスの双眸は、孔雀の羽根のように青と緑に移ろう不思議な色。金を帯びた銀の髪もこの瞳の色も、母譲りの色だ。
 いかに人間と深く関わることを嫌って生きるエルフといえど、初対面の相手に突然殺気を向けるなどそうはないだろう。つまり、レイアンセルム国王アーリックの落胤だと気付かれた、ということだ。
「……っ!」
 咄嗟に動かない身体を無理に動かそうとしたゼフィルスは、次の瞬間、目のまえに鋭利な光を突き付けられて声を飲む。
 視線を動かした先では、恐ろしく素早い動きで弓を構えた黒い男が、番えた矢でこちらをぴたりと狙っていた。そこには躊躇など微塵も感じられない。
 どうやら、男は相当の弓の使い手のようだ。弓矢を取り出した動きすら気づかなかったほどに。
「動くんじゃねえっつったろうが。傷に障るぜ?」
 闇夜のように低い声音で甘く囁くように言って、男はふと暗いような笑みを浮かべた。
「大人しく寝てな。別に殺すつもりはねえよ、いまのところはな」
 そう言って男はあっさりと弓矢を下ろすと、かわりに腰に下げていた革袋から緑の葉に包んだ薬らしきものと包帯を取り出してみせる。
「……どういう、つもりだ」
 ゼフィルスは、竜を助けるために自分で傷をつけた左腕を男に取られ手際良く手当されて、ひどく戸惑った。
「あ? 俺は汚ねえお仕事専門だから、治癒魔法は苦手なんだよ。こんだけの怪我ならエルフの森に連れてくほうがいいんだろうけど、まあ、おまえはむしろ……やめておいたほうがいいだろうしな。……シンシアの、息子だろ?」
「母を、知っているのか」
「エルフの姫だ、なまえくらいは知ってる。あの好色で陰険なレイアンセルム国王に攫われてそのまま二度と戻らなかった。おまえがエルフの森で歓迎されるわけがねえ」
「……そう、か」
 やはり、自分という存在はエルフからも憎まれる存在ということか。
 わかってはいたことではある。いや、心のどこかでわずかばかり期待していたのかもしれない。母の種族なら、自分たちを受け入れてくれるのではないか、と。
 けれどやはり、人のあいだにもエルフの森にも、自分と妹の居場所はどこにもないのだ。
 まるで、死んだ母にも拒絶されているかのように感じてしまう。そんなはずはないと、そう思いたいというのに。
 ふ、とゼフィルスがくちびるに苦笑を刻むと、男は器用に包帯を巻き終えたゼフィルスの腕を下ろし、ひょいひょいとこちらの断りなく勝手に装備を外していく。
「おい」
 襤褸同然の騎士装束を捲られ腹を見られたところで低く声をかけると、男がにやりと薄いくちびるを大きく歪めて顔を上げた。
「心配すんな。襲う気もねえよ、いまのところな」
「……ではどういうつもりだ。俺を助けてレイアンセルムに連れて行っても、報酬など出ない。むしろ、余計なことをした、と投獄されるのがオチだ」
「だろうな。死なせるためだろ、こんなところに寄越されたのは」
「……わかっているなら、なぜ助ける」
 あちらこちらに薬を塗られ包帯を巻かれているうちに、気付けばさきほどよりもずっと呼吸が楽にできることに気付く。身体の痛みもすこし引いたようだ。
「ただの気まぐれ?」
「そんなお人よしには見えない。さっき、殺意を向けただろう」
「はっ、さすがに悪意には敏感だな。そんなんじゃすぐ死ぬか禿るぞ?」
「……ごまかすな」
「ごちゃごちゃうるせえな。助けてやってんだから黙ってろよ。あんまりうるせえと気色の悪い変態に売り飛ばすぞ」
 ぐ、と右脚の包帯をきつく締め上げながら凄まれて、ゼフィルスは思わず声を飲む。
「それにしても、おまえ、よくこんな身体で飛んでる竜から飛び降りたな。自殺願望でもあるのかよ」
「ない」
 確かに下手をすれば死ぬところだったのだろうけれど、死ぬつもりは毛頭ない。深く息を吐きながらゆるく首を振るゼフィルスだったが、ふと眉を寄せて薬を革袋に放り込んでいる男の横顔を見やった。
「……どこから、見ていた」
「あ? さっきも言っただろ。俺は汚ねえお仕事専門、だって。カタリナクレア神殿を見張るのが俺のお仕事。いや、ほんと、竜出てきてびびったわ。なに勝手に呪い解いてくれちゃってんの? 森に報告しに帰んなきゃいけなくなるじゃねえか、めんどくせえ。あぁ、考えただけで吐きそう」
「……は?」
「いや、ちょっと待て。やべえ」
 不意に、やべえ、と男が空を見上げてつぶやく。
 つられてゼフィルスが男の視線を追って空を見上げると、真白い輝きがこちらへ向かってくるのが見えた。
「あぁ、竜か」
 どこか呑気にも聞こえる調子で呟いたゼフィルスに、男が何事かを叫んだ。同時にまだ動かない身体を攫われて、焼けた砂地を大きく転がる。
 そこに、空から降ってきた白い巨体が、あたりの熱気と石礫を弾き飛ばしながら地響きを伴って着地した。その直後、
「ゼ、ゼフィルスさまぁ……っ!」
 その背から情けない声を上げて落ちてきたレヴィが、足をもつれさせ転がるようにこちらへと駆けてくる。そして、ゼフィルスに覆いかぶさっていた黒い男を体当たりする勢いで押し退け、ひし、としがみ付いた。
「レ、ヴィ」
 年下の見習いに身体を抱き起されて、ゼフィルスは苦痛に息を詰まらせる。これまでの死ぬほどの恐ろしい思いがそうさせるのか、身体はふらふらであるはずだというのに、思いがけず強い力だ。さっさとその腕を振り解いてしまいたかったが、身体が思うように動かずに苛立ちと嫌悪とがどろりと腹の奥から湧き上がる。
 しかし、ふと、
「生きていたのか。死んでいたのなら喰ってやろうかと思ったのだが」
 面白そうな声音が頭上から降ってくる。不遜であるにも関わらず耳心地の良い、深く静かな淵のような浅瀬の煌めく流れのような、声音。
 それが耳を通り身体のなかに流れ込んだ途端、なぜか腹にあったものがするりと軽くなったようだった。
 不思議だと思いながらゼフィルスはゆるりと熱せられた目蓋を瞬かせ、どこか高揚した気持ちでその声音の持ち主を見上げる。
 一瞬その白さに目を焼かれるようだったが、すぐに光はゆるやかに収まっていった。
 真珠色に輝く、竜。
 光が収まったいま、艶やかな光沢を見せる竜のその翼と身体には、無惨に杭を穿たれ鎖を巻かれたひどく痛々しい痕が見える。擦れ剥がれた鱗の下から血の滲む赤い肉が覗く箇所は無数にあり、穿たれ無惨に折られた翼は杭の大きさの穴をあけたまま。擦れて血に濡れた羽根が、翼を下ろした途端にまた幾枚か抜け落ちた。
 動くのも難しいほどに苦痛に囚われているのはこちらだけではなかったというのに、それほど傷を負いながらも高く空を飛び、炎を吐いた。
 生きるためとはいえそんな無理を強いたこちらのことは見て見ぬふりをして、ようやく自由になったいま、さっさとレヴィを振り落して遠い空へ飛び去ってしまうこともできたというのに。
 矜持が高いくせになんという気のいい、美しい生き物。
「……戻ってくるとは、思わなかった」
 真珠色の鱗と金剛石の輝きを放つ羽毛の翼が陽の光を弾くせいであるのか、胸の奥が熱いような気がしてちいさく呟くと、ふん、と竜が鼻を鳴らした。
「このちびが煩いからだ」
 竜の鼻先で小突かれてふらついたレヴィが、それでも大きな瞳を潤ませてまた抱きついてくる。
「ゼフィルス様、生きてて良かったぁ!」
「だいぶ弱っているのだから、喰ってもいいのではないか?」
「駄目に決まってんでしょう、なに言ってんですか! この怪我の半分はあんたのせいですよ!?」
 あれほど怯えていたというのにいまはなぜか竜に言い返しているレヴィが、なんとなく可笑しく思えた。ふ、とゼフィルスが吐息だけで笑うと、こちらを見下ろすレヴィが泣きながらも笑い返す。
「ご無事で良かったです。でも、あれ? 手当されて……?」
「ああ、それはそこのエルフの男が手当を」
「馬鹿っ、こっちに話を振るんじゃねえ!」
 なぜか物音ひとつ立てずにこそこそと物陰に身を隠そうとしていた男が、両手で耳を押さえながら、こっち見んな、と叫んだ。直後、
「ほう。そこにいるのは、闇エルフか」
 低く吼えた白い竜の喉の奥に、一気に炎が溢れ怒気が膨れ上がる。身体もひとまわり大きく膨らんだように錯覚する。
「そういえば、黒いエルフが封印の祭司をしていたと言っていたか」
 関係があるのか、と見やったゼフィルスの視線の先で、尖った耳を隠していた男が嫌そうにそのまま両腕を降参だとばかりに上げて、
「っつっても、ソレ俺じゃねえから。あんたを封じた祭司はそんときに塩の柱になって死んだって。だからそんな怒んなよ『お嬢さん』」
「馴れ馴れしいわ、闇エルフの分際で!」
 軽薄なようすで片目を瞑ってみせた男へといまにも炎を吐きそうな剣幕で怒鳴った竜の言葉に、闇エルフ? とゼフィルスはゆるりと瞬く。すると、面倒そうに男が溜息を吐いた。
「俺らは、ほかのエルフからもつまはじきにされてんの。同族っちゃ同族だけど、オトモダチじゃねえ。あいつらがやりたがらないことは、俺らにまわってくる。まあ、持ってる魔法の性質が『裏』向きだからな。そこの白い竜を神殿に封じたのも、そういう俺らの汚ねえお仕事のひとつってわけだ。あとはまあ、ここの人間どもが被ることになっちまったけどな」
 面白くもなさそうに嗤って、闇エルフと呼ばれた黒い男は挑むように、まっすぐに白い竜を睨み据える。
「待て」
 ぐぐ、と喉を鳴らして炎を渦巻かせる竜と闇エルフの間に無理に身体を滑り込ませたゼフィルスは、竜の蒼穹の青を映した宝玉のような瞳を見上げた。
「怒りはわからないでもないが、おさめてくれ。いまは痛んだ身体を治すためにその男の手が必要だ」
 そう言って、ゼフィルスはつぎに闇エルフを見つめる。
「俺にしたように、この竜の手当てもしてもらえるだろうか」
「……はあ? なにおまえらオトモダチか?」
「いや。俺の一方的な一目惚れのようなものだ」
 照れもなく言い切ったゼフィルスに、毒気を抜かれたのは白い竜のほうだ。きょとんとしたような顔つきをしたかと思えば、炎と怒気が喉奥に引っ込んでしまう。
「……たらしか」
 思わず呟く闇エルフだったが、僕だってゼフィルス様にそんなこと言ってもらったことない! と悲嘆に暮れるレヴィの姿に、なんだ竜たらしか、と言い直した。
「俺はまあ、いいけど、そっちの竜が嫌なんじゃねえの?」
「当然だ。闇エルフの力など借りるか。このような傷、舐めておけば治る」
 鼻息荒くそっぽを向いた白い竜の怪我は、竜が言うような軽傷ではもちろんない。
「それで済む程度の怪我ではないと思うが……わかった。では俺がそのエルフから薬を譲り受けよう。それから俺がおまえの手当をする、というのはどうだ」
 一度背に乗せているくらいなのだからすこしくらい触られても我慢できるだろう、とゼフィルスは提案するが、しかし今度は闇エルフのほうが不満げに顔を歪めた。
「っつか、なんで俺がタダで薬をやらなきゃならねえんだよ」
「気まぐれで俺を助けたくらいのお人よしではなかったのか」
「んなわけねえだろ、嫌味かソレ。あのクソ国王へのちょっとしたイヤガラセに決まってんだろ! いくら顔が女みてえでズタボロになってるのが色っぽくて好みかもとか思ったとしても男なんか誰が好き好んで助けるかっつの、馬っ鹿じゃねえの!」
「仕方ない。殺して奪うか」
「オイちょっと待て。いまなんか物騒なこと言わなかったか? 気まぐれだろうがなんだろうが、一応俺はおまえの恩人だぞ!?」
「だが、薬が必要だ。残念ながら俺は育ちが悪いから、生きるためなら、恩があろうがなかろうがおまえを殺したところで心は痛まない。毛の先ほども。だが安心しろ、一応は恩人だ。痛みなど感じる間もなく殺してやる」
「わかった! わーかーりーまーしーたー! やればいいんだろ、やれば!」
 満身創痍とはいえこの化け物だらけの地で生き残った男と竜とを相手になどできるか、と闇エルフは深い溜息をつく。そして、まだ消えずに燃え盛る炎の向こう、遠くに見える建物を指さし、
「んじゃ、まあ、戻ろうぜ」
 それは、ほんのすこしまえまで竜が封印されていた神殿だ。
 当然、闇エルフの言葉に竜が吼えた。
「ふざけるな闇エルフ! 誰があんな呪いの神殿になど戻るものか! 貴様、わたしを騙してまた捕える気ではないだろうな!?」
 興奮した竜が翼を広げると、ぼたぼたと血が零れ落ちる。
 じわりと砂地に染み込むそれを見て、ゼフィルスはとっさに腕を上げてレヴィを引き剥がすと、その腰に下がった剣を引き抜きそれを闇エルフの喉元に突き付けた。
「また、竜を封じるつもりか。生贄は、今度は男がふたりか」
「……誰もそんなこと言ってねえだろうが。大体いくらおまえがエルフと人間の血をひいてるっつっても一匹じゃなんともならねえし、そもそもそんなめんどくせえことした挙句に塩の柱になって死ぬとか冗談じゃねえわ。俺、まだ死にたくねえし。まともな天井があるのがあそこだけだってだけだろうが、神都カタリナクレアはいまはもうこの土の下なんだからよ」
 そう言って、闇エルフはゼフィルスが突き付けた切っ先を手の甲で押し払う。
「土の、下?」
「なんだ、気付かなかったか? ところどころ地面からにょきにょき出てんだろうが、昔の都市の残骸がよ。そこの竜が封じられた途端、神都は呪われた。神都の空は高層の建造物を一気に飲み込むほど巨大な砂嵐に覆われて、人間どもは身体を腐らせ意思を失い化け物になって死ぬこともできず、土の下から這い上がっても飢えたままで土の下から伸びた見えない鎖に繋がれこの土地に囚われた。あの神殿はな、神都で一番高い建造物だったから土の下に沈んでもなお上層部分が地表に出てんだよ」
「そういえば、巨大な都市だったな」
 闇エルフに言われて思い出したのか、懐かしむような、しかし恨みがましい瞳を神殿のほうへと竜は向けた。
「まだ化け物が埋まってるかも知れねえぜ? まあ、俺は隠伏の魔法使って隠れるから喰われる心配ないし野外でも別にいいんだけどぉ」
「神殿までお供します」
 レヴィがあっさり神殿まで戻ることに同意し、行きますよね、と縋るようにこちらを見るのでゼフィルスはちいさく溜息を吐く。
「……わかった。神殿に戻る。ただし、なにかおかしな行動をとった場合、そのときは俺かそこの白い竜がおまえを躊躇なくかつ確実に殺す」
「おまえ……ほんっとに、なんなのソレ。腹立つなぁ!」
「助けたのはおまえだろう。運が悪かったと思って諦めろ」
「性格悪っ! 胸糞悪っ! おいちび、おまえなんでこんなやつの従者とかやってんの、ありえねえ! なんなんだこの顔面詐欺野郎、腹立つ!」
「レヴィは俺の従者ではない。生き残ったのが、俺とレヴィのふたりだっただけだ」
 うるさい男だ、と剣をレヴィの腰の鞘に戻しながら再度溜息をついたゼフィルスだったが、ふとレヴィの顔を見て首を傾げた。おかしな顔をしているがどうした、と言葉にするまえに、
「ひどいですー!」
 と顔をくしゃりと歪めたレヴィに泣かれる。
「僕はゼフィルス様をご主人様と仰いでこんっなにお慕いしているのにっ!」
「レヴィ、くだらないことを口にするな。嬉しくない。大体おまえはあの髭面の……なんとやらという騎士の従騎士だったはずだ。俺に構うたびに殴られていたんじゃないのか」
「あの嫌味ったらしくすぐに頭に血が上って暴力的になられるなんとやら様なら、さきほどあの神殿でゼフィルス様がお見捨てになられましたが」
「……ん?」
 はて神殿で顔を見ただろうか、と思わずゼフィルスは首を傾げる。そして、
「意外としぶとく生き残っていたのだな、そのなんとやら卿は。もっと早い段階で逃げ帰るか食い殺されているかしていそうなものだが」
「あの方、戦神の如く化け物を薙ぎ倒しておられたゼフィルス様のお近くを、ずぅっと逃げ回っておられましたので。王宮では近寄ろうともされませんでしたのにね。ほんっと厭な髭面屑野郎です」
「おまえ案外口が悪いな。だが……そうか、それは気付かなかった。いたかな」
 そもそもなまえすらまともに覚えていないような男のことだ、近くを逃げ回られたとしてもまったく覚えがなかった。
 だが、どうりでレヴィも近くにいたはずだ。おおかたその騎士は自分の生きた肉の盾にでもするつもりでレヴィを傍から離さなかったのだろう。
「ほんとに無関心なんですね、その辺……」
 まだ覚えられていただけ僕ってマシなのかな、とちいさくつぶやくレヴィに、しかしそのつぶやきを気に留めていないゼフィルスは、
「ユリシス以外の人間など、どうでもいい」
 信じるどころか親しく思う気にもなれない、とばっさりと切り捨て、まだ少年の色を濃く残すレヴィの頬を引き攣らせた。
「ってか、おまえその性格だから味方がいねえんじゃねえの?」
 ふと口を挟んだ闇エルフをちらと見やったゼフィルスは、拒絶するようにすぐに視線を神殿がある方角へと向ける。
「俺に味方するものは殺された。この地に化物討伐と称して厄介払いされた人間の半分は、俺や妹のユリシスに否定的ではなかった連中だ。レヴィも、主人ではなく俺になにかと構ってきたから、まだ戦場に出るような歳でもない見習いでありながらこんなところに送り込まれたんだろう」
「おまえの親父、ほんととんでもないクソだよな。まあどうでもいいや、とりあえずさっさと天井のあるところまで行こうぜ」
 どこかうんざりしたような表情で闇エルフがそう言って、顎の先で神殿を指した。
「う……あの、乗せて……もらえませんか。せめて、ゼフィルス様だけでも……」
 と、レヴィがなんとも言えない表情で黙って聞いていた白い竜を振り返るが、竜は目を細めて鼻で嗤ってみせる。
「ほう。さっさと上から落として殺すのか。貴様、おとなしげな見かけによらない非道ぶりだな。その白い男はもとより、おまえももう飛ぶわたしには掴まっていられないだろうが」
とそう言った竜は、重ねた前足の上に顎を乗せ半ば伏せた目蓋の下から億劫そうな色を滲ませた瞳でレヴィを見下ろした。
 血が透けて見える湾曲した長く鋭い爪が、かちりと音を立てる。無言で、掴んで運ぶこともできない、と主張しているようだ。なるほど凶暴なつくりのそれでは、なにかを傷つけないよう繊細に掴み取ることなど無理だろう。
「はいはい。こんなときこそ、このシェリダン様に任せろっつの」
 面倒そうな口調ではあるもののどこかしら得意げに、闇エルフが言った。
「……シェリダン」
「んだよ、なんか文句あんのかコラ」
「いや、聞いたことがあったような名だと思っただけだ」
 ゼフィルスがそう言うと、シェリダンという名であるらしい闇エルフが眉根を寄せる。
「……どこでだよ」
「覚えていない」
 いや、ほんとうはうっすらと記憶にあった。というより、その名を聞いて思い出した光景があったのだ。
 レイアンセルムに国王の愛妾として囚われていた母が、いつであったか、物陰から自分が見ていることに気付かず静かに涙を流しながら、ぽつりと誰かの名を呼んだことがあった。
 その名が、シェリダンだったような、そんな気がしたのだ。
 この闇エルフは、母のなまえくらいは知っている、と言っていたが、ほんとうにそれだけなのだろうか。そう思いはしたが、ゼフィルスは口を閉ざした。シェリダンを問い詰めたところで、母はもういないのだ、いまさらどうにもならない。
 シェリダンも、軽く目を眇めはしたがそれ以上に訊いてくることはなかった。すぐにゼフィルスから目を反らすように魔法を編みはじめ、取り出した鳥の羽根と蜥蜴の尾から鳥と竜とを混ぜ合わせたような馬ほどの大きさの動物を二頭つくりあげる。
「おらよ。悪いがこの『馬』はあんまり強度はねえからな、いらねえものは捨てていけ」
 捨てろ、と言われて早速とりかかったのはレヴィだった。焼けた地面の上では治るものも治らない、と呟きつつシェリダンによって鎧などはすでに取り払われているゼフィルスへと手を伸ばしてくる。
「レヴィ、いい。自分で……」
 自分でできる、と言うそばから、ぬるり、と手指が金具の上を滑った。すぐさまその敵のものか自分のものかわからない血に濡れた右の手を取られ、まだつけたままであった籠手を外される。
 レヴィも手どころではなく身体全体がちいさく震えているようだが、それでも自分でやるよりははやい。早々に諦めたゼフィルスは、重く軋む身体から残った装備が外されていくのを、黙って受け入れた。
 ゼフィルスを薄着にしたレヴィは、次は自分の装備を外しにかかる。
 土の上に重たげな音とともに転がされた血と泥と埃に汚れててらてらと鈍く光る銀の防具武具には、憎悪と嫌悪の対象である男が誇る王家の紋章。
 好き好んでつけたものではないそれに目元が引き攣るが、レヴィが案外ぞんざいな仕草でそれを地に落としたことで、ほんのわずかだが溜飲が下がるように思う。
 こちらのようすに竜がどこか不審な視線を向けるが、レヴィは答えないままゼフィルスの腕をふたたび取った。
 その拍子に、顔の横に元の色がよくよく見なければ分からないほどに随分荒れて汚れてしまっている髪が、一筋落ちる。
 視界に入ったそれに、どこまで知っているのだろう、ふと思った。そうして自分を支えるレヴィの汚れた横顔を盗み見る。
 話して聞かせた覚えはまったくないのだから、誰かから聞かされたか噂を耳にしたかだろうが、国王に殺したいほどに疎まれた落胤の噂など決して良いものであるはずなどない。だというのに、従騎士たるものが王家の紋章が入った武具をこうもあっさりと雑に棄てられるほどこちらに肩入れするのはどういうことだ、と。
「……まさかとは思うが」
 不意に思いついた疑惑に眉根を寄せた。
「レヴィ。ユリシスと会ったことはあるか」
 しかし、その突然投げられた問いかけに、レヴィはきょとんと目をまるくする。
「は? ユリシス姫殿下ですか? いえ、僕なんかがお会いできるわけないじゃないですか。常に無表情でこわーい侍女たちに取り囲まれておられるような方ですよ? って、どうしてそんなどろーんとした目で僕を見るんですかゼフィルス様!? 姫殿下のことは遠目にちらっと拝見したくらいで! あ、なんか疑ってますかなんでですがどうしていま急に!? なんかちょっとでも間違った返答したら叩き斬られそうな雰囲気なんですけど!? そりゃあゼフィルス様の妹君なんだからとっても可愛らしい方だなぁ、ちょっとお話ししてみたいなぁ、とは思いましたがそれだけですよ!? 僕がお慕いしているのはゼフィルス様ですからぁぁぁっ!」
「……そうか。関係ないなら、いい」
 ふ、と息を吐くと、痛みますか、と一転してレヴィが気遣ってくる。
 たとえ腹になにを隠していようと少なくともいまはまだこちらを打ち棄てるつもりはないらしいレヴィにちいさく首を横に振り、ゼフィルスは竜を仰ぎ見た。
 なんとなくだが、呆れたような目で見下ろされている気がする。
「なんだ、妹バカか」
 魔法で編んだ馬の上にゼフィルスから無理やり引き剥がしたレヴィを引っ掴み放り上げたシェリダンが平坦な口調で言うと、その言葉に納得するように竜が目を細めた。
「妹がそれほどまで気になるものか? わたしにも兄がいるが、巣立ってからは一度も会ったことはないし、なんの心配もしていないが」
「ユリシスにはもう、俺しかいない。まだ子どもなんだ、守ってやらなくては」
「そうは見えないがな」
 そう言われて、ゼフィルスはシェリダンが乗る馬のうえに引き上げられながら軽く目を瞠る。
「なに」
 白い竜は傷ついた翼を広げぐぐと空へと伸び、それを写し取ったような青い宝石の瞳で見下ろして、
 
「おまえが守られているようだ、と言ったんだ、死にぞこない」
 
 
 
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竜と死神 目次
 9周年記念ブツです。去年の続きです、うふ……
 今回は黒いヤツも追加でした。胡散臭そうなキャラにしようと思ったけど、なんだろう……このお話に出てくるひとで胡散臭くないのって竜だけじゃないか? ゼフィルっさんも善人ではないですしー。
             とりあえず、まだ始まったばかりのお話なので、またちまちま書きためられたら、と思っています。
             2016.12.5
 
   
 

 

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